| 雪道の自動車事故で半身不随になった流行作家のポール・シェルダン.元看護師の愛読者,アニーに助けられて一安心と思いきや,彼女に監禁され,自分ひとりのために作品を書けと脅迫される.キング自身の体験に根ざす“ファン心理の恐ろしさ”を極限まで追求した傑作――. |
事故で重傷を負った作家ポール・シェルダンが,元看護師にして熱狂的な読者アニー・ウィルクスに監禁され,ファンの歓喜と興奮が拘束へと転倒する.読者が作品世界に対して抱く所有欲が,作家という生身の存在へと向かう.アニーはシェルダンの筆を握ろうとし,作品世界を支配対象に変えた.それは,創作行為が個人に奉仕すべきものという倒錯であった.スティーヴン・キング(Stephen King)は,この小説を"リチャード・バックマン"名義で発表しようとしていた.
別名義は,もう一つの作家人格を意味していたが,それが暴かれたことで,本書はキング本人の胎内へ回収される.作品中の「ミザリー・シリーズ」によって括られたシェルダンの苦悩は,キング自身が『ドラゴンの眼』でファンタジーへ転調した際,読者の拒絶に遭った経験を踏まえている.またキングは薬物・アルコール依存を克服する時期に本書を執筆している.ポールはアニーの要求に従い,創作を通じて状況を逆転させる.千夜一夜物語のシェヘラザードのように物語で生存時間を延命し,書くことが救済手段――執筆行為が主人公の生存戦略として転位し,物語は創作の贖いへと収束するのだ.
キングは大西洋横断便の機内で見た夢から着想し,アメリカン航空のカクテルナプキンに夢の内容をメモしたという.ロンドンの老舗ホテル「ブラウンズ」で執筆を開始した際,かつてラドヤード・キップリング(Rudyard Kipling)が脳卒中で倒れた机をホテルが用意してくれた.キングは当初,アニーがポールの皮膚で本を装丁させるという猟奇的な結末を検討していたが,最終的にはポールの「創造力の反撃」へと着地させた.残虐の快楽ではなく,創作の倫理を選んだ点こそ評価すべきであろう.
作家とは誰に奉仕し,作品は読者の所有物になるのだろうか.ジャンルの期待に縛られること,ファンによってアイデンティティを規定されること,依存から抜け出せない作家の苦悶――全てがアニーの巨大な身体に凝縮されている.キングは自らの悪夢を文学形象に還元し,350ページを超える物語へと膨張させた.本書は,ホラーの皮をかぶった作家論であり,フェティッシュ化された読者愛への冷徹な診断である.恐怖とは,作品を所有し,作者を消費しようとする読者の欲望であるならば,作家にとって,それこそ最も日常的な怪物である.
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Title: MISERY
Author: Stephen King
ISBN: 4167705656
© 2008 文藝春秋
