■「スーパーサイズ・ミー」モーガン・スパーロック

スーパーサイズ・ミー 通常版 [DVD]

 肥満に悩む消費者がファーストフードチェーンを訴えた.その報道を見た監督は,肥満との相関を確かめるべく,1ヵ月間その店の商品だけを食べ続けると決意.自ら被験者となり,現代のアメリカ人の食生活を検証する….

 0日間,1日3食をマクドナルドのメニューだけで過ごす.極端な人体実験は,ゴンゾー・ジャーナリズムの映像的頂点として評価されながら,手法の危うさゆえに今なお議論の対象であり続けている.モーガン・スパーロック(Morgan Spurlock)が自らに課したルールは,馬鹿馬鹿しさとシリアスさが共存するものだった.マクドナルドのメニューにある品目をすべて最低一度は口にすること.1日3食を必ずマクドナルドで摂ること.店員に「スーパーサイズにしますか?」と勧められた際には,いかなる状況でも必ず応じること――3つの戒律が,実験の骨格をなした.

 製作費はわずか約6万5,000ドル.撮影の大部分は,当時普及し始めたプロシューマー向けデジタルビデオカメラ,ソニー・PD150によってゲリラ的に行われた.粗削りな映像の質感が,作られた企業広告に対する生々しい個人の記録という対比を際立たせ,結果として世界で2,200万ドル超――製作費の約338倍――を稼ぎ出すことになる.急速に肥満化し,無気力となり,やがて動悸や肝機能の悪化に苦しむスパーロックの身体的崩壊は,利益至上主義に走る巨大企業,それに盲目的に従う消費社会の病理を揶揄する.ガラス瓶の中で何週間経っても腐敗しないフライドポテトという衝撃は,食品添加物への強烈な嫌悪感を大衆に植え付けた.

 2004年のサンダンス映画祭でのプレミア上映からわずか6週間後,マクドナルドは全米店舗における「スーパーサイズ」オプションの段階的廃止を発表した.企業側はメニューの簡略化であり,映画とは無関係,と公式に否定したが,ファストフード各社がこの後,サラダや果物,水といった健康志向のメニューを相次いで導入せざるを得なくなったことも,確かな痕跡のひとつである.一方,公開から年月が経つにつれ,科学的厳密性に対して批判の目は厳しくなっていく.スパーロックは実験中に1日約5,000キロカロリーを摂取したと主張したが,根拠となる詳細な食事記録の開示は,繰り返し求められてもついになされなかった.

 この不透明さに真正面から異を唱えたのが,トム・ノートン(Tom Naughton)監督作「ファット・ヘッド」(2009)である.ノートン自身もファストフードのみで過ごす実験を行い,摂取カロリーと糖質を論理的に管理すれば体重の増加も健康悪化も生じないことを示し,スパーロックの計算に潜む矛盾を鋭く突いた.厳密な意味での科学的ドキュメンタリーには程遠く,結果をあらかじめ演出した過激なパフォーマンス・アートに近い.しかし,個人の自己責任論に隠れ蓑を見出していた巨大食品産業に対し,飲食産業の社会的倫理責任という概念を強制的に引きずり出した功績は,本物だった.

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原題: SUPER SIZE ME

監督: モーガン・スパーロック

98分/アメリカ/2004年

© 2004 Kathbur Pictures INC.

▼「椎の若葉」葛西善藏

哀しき父 椎の若葉 (講談社文芸文庫 かI 1)

 酒・病・貧困に蝕まれた葛西善蔵は,自らの醜聞を切り売りしながら私小説を書き続けた.滑稽で悲惨な実生活を,朽ちかけた己と若葉の光とで対比させた,祈りにも似た自己劇化――.

 滅型私小説が到達した極北の一篇.酒と病と貧困に蝕まれながら,醜悪な実生活を切り売りせざるを得なかった作家の凄絶な自己劇化が刻まれている.光を求め,光に戯れる若葉のさまと,「弱りかけ間違ひだらけの生き方」との対比――喘息と重度のアルコール依存によって心身ともに磨耗した葛西善蔵は,1928年に41歳で壮絶な喀血を繰り返しながら世を去った.切符と金を失い,巡査に借金をし,酔って他人の急所を蹴り上げ,読売新聞社から事実確認の電話を受ける.

 滑稽でありながら悲惨な顛末こそ,私小説作家の真骨頂である.「足掛六年もゐた宝珠院」として登場する鎌倉・建長寺の塔頭は,葛西が生活の拠点とし,芥川龍之介らとの交流の場でもあった.自己小説家であることを開き直り,自らの恥部が新聞に載ったことをありがたい,と語る葛西の姿勢に,この作家の業がある.自己の醜聞を世間の耳目に晒し,それをまた原稿用紙の上で再構築して生活費に変える.凄絶なサイクルこそが,葛西文学を駆動した力であった.

光りを求め,光を浴び,光りに戯れてゐるやうな若葉のおもむきは,自分の身の,殊にこのごろの弱りかけ間違ひだらけの生き方と較べて何と云ふ相違だらう

 私小説は常に倫理的な理想と本能的な失態の往復運動によって推進される.人間生活は「もっと美しくある道理」と信じながら,酒を飲み,暴れ,警察沙汰を引き起こす.矛盾を隠蔽することなく,むしろ至らなさを解剖台に載せることで,近代人の自我の脆さを普遍的な悲劇へと昇華させてゆく.葛西は歌舞伎『義経千本桜』の知盛,文楽のおさんの悲劇に自己を重ね,西欧的な悟りを拒絶し,情死や破滅へと傾くロマンティシズムの磁場に惹かれながら,古典的な悲劇の主人公になりきることができない.

 自身の愚かさをメタ的な視点から分析する知性を,近代の私小説作家としてすでに持ってしまっている.諦めきったようでいて悟りきれず,凡夫としての己を恥じ続ける二重性.社会からはみ出し,家族を傷つけ,愛する女の心も理解できず,己の肉体をも破壊し尽くそうとしている男が,机の前にぽつねんと座り,ただ初夏の若葉の輝きに救いを求める.最後の一文には,破滅の淵に立つ者だけが放ち得る,純度の高い祈りが宿る.

椎の若葉に光りあれ,僕は何処どこに光りと熱とを求めてさまよふべきなんだらうか.我輩の葉は最早朽ちかけてゐるのだが,親愛なる椎の若葉よ,君の光りの幾部分かを僕に恵め

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原題: 椎の若葉

著者: 葛西善藏

ISBN: 4061963023

© 1994 講談社

■「ケース39」クリスティアン・アルヴァルト

ケース39 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

 オーブンで焼き殺されそうになる寸前に助けられた10歳の少女リリー(リリス)が,児童専門のソーシャルワーカー,エミリーの家でしばらく暮らすことになった.エミリーの恋人でセラピストのダグも協力し,第二の人生は平穏にスタート.だがその直後から不審死が続発し,エミリーはリリーの言動に不審を抱き始める….

 ーセの断食は40日間.ノアの箱舟で大洪水をもたらした雨が降り続けた日数も40.エジプトを脱出しヤハウェに背いたイスラエルは,荒野を40年さまよって初めて"約束の地"への入境を許され,預言者エリヤは40日40夜歩き続け,神の山ホレブに辿り着いた.創世記・民数記・出エジプト記・列王記に刻まれた"40"という数字は,荒野で40日間,悪魔の誘惑に晒されたイエス・キリスト(Yhoshuah ha-Mashiah)の福音において,その意味を完成させる.

 そこから"1"だけ欠けた数字は何を意味するか.聖性に最も肉薄しながら聖性に届かない.それはメシアにも僕(しもべ)にも最も近く,最も危うい,悪魔的刻印の数である.可憐に見える10歳の少女リリーは,39番目のケースとして現れる.子どもの姿をした悪魔,という主題はホラーの古典的な血脈に連なる.しかし本作の新鮮さは,その悪の論理にある.リリーは自らの危機を救った児童福祉士という善意の構造を,そのまま武器として反転させる.彼女が属していた虐待案件の番号39は,物語の深部に仕込まれたひそかな神話的コードである.

 舞台は虐待大国でありながら,同時に児童保護局(CPS)という行政介入の先進国でもある米国だ.子どもの生命を守ることに熱心な社会という建前が,本作において嘲笑われる.無力な存在として大人が信じて疑わない「子ども」こそが,最も凶悪な捕食者であるという悪趣味な寓話が,その建前を食い破る.リリーはターゲットと定めた人間の内なる「恐怖」を嗅ぎ取り,それを具現化し,事故に偽装して葬り去る.善意と養護からリリーに接近したエミリーが恐怖に蝕まれていく過程は,ホラー映画の王道を忠実になぞっている.

 このジャンルに不慣れなレニー・ゼルウィガー(Renée Kathleen Zellweger)の造形が平板に見えてしまうのは避けがたい.対照的に,サム・ライミ(Sam Raimi),テリー・ギリアム(Terence Vance Gilliam)ら怪奇ファンタジーの巨匠たちの作風を子役の身で渡り歩いてきたジョデル・フェルランド(Jodelle Ferland)は,圧倒的な貫禄でスクリーンを支配する.奇妙なことに,敵なしのリリーが「人外の存在」であると明示されることで,観客は安堵する.その安堵を否認した瞬間,子どもへの根拠なき信頼が崩れ落ちる.

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原題: CASE 39

監督: クリスティアン・アルヴァルト

109分/アメリカ=カナダ/2009年

© 2009 Paramount Pictures.

▼「プルシアン・ブルー」ベンハミン・ラバトゥッツ

恐るべき緑 (エクス・リブリス)

 偶然生まれた青い顔料プルシアン・ブルーを軸に,化学者フリッツ・ハーバーの二面性……人類を飢餓から救う一方で化学兵器を開発した業を描く.妻の自死,そして彼の研究が転用されたホロコーストのガス室の壁に浮かぶ染み――.

 ルシアン・ブルーという色は,偶然の産物である.18世紀初頭,錬金術師ヨハン・コンラート・ディッペル(Johann Conrad Dippel),顔料職人ハインリッヒ・ディースバッハ(Heinrich Diesbach)が赤い顔料を作ろうとして失敗したとき,動物の血と骨の不純物が混入した坩堝から,奇跡のような深い青が生まれた.ヴィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の夜空を,葛飾北斎の大波を,あの比類なき青で染めた顔料が,錬金術師の誤算から誕生した.

 本篇は,ナチス指導者たちの服毒自殺から幕を開け,その毒物であるシアン化物の起源へと遡っていく.美しい青の顔料と致死の毒とは,同じ化学式の表裏である.ユダヤ系ドイツ人の化学者フリッツ・ハーバー(Fritz Haber)は「空気からパンを作った男」として称えられ,ノーベル賞を受賞した業績――大気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法――は,化学肥料を通じて人類を飢餓から救った.だが同じ頭脳が,第一次世界大戦において塩素ガスによる化学兵器を開発した.

 二面性は,私的な悲劇として刻まれる.歴史とフィクションを意図的に混合させる著者は,「祖国への忠誠」「科学的探求」という二つの衝動に憑りつかれ,倫理の声を聞こえなくしていった人間の業を,冷徹な距離感を保ちながら描く.ブレスラウ大学で女性として初めて化学博士号を取得した妻クララ・イマーヴァール(Clara Immerwahr)は,夫の非人道的な研究に激しく抗議し続けた.イープルの戦いで毒ガス攻撃が成功した祝賀会の夜,彼女は庭でハーバーの軍用拳銃を手に取り,自らの命を絶った.翌朝,ハーバーは次の戦線へと発った.

 読者の内側に不気味な共鳴を生ませた物語は,最後の円環を閉じる.ハーバーが主導した研究は,害虫駆除のためのシアン化物系殺虫剤「ツィクロン」を開発した.ナチス・ドイツはのちにこれを殺人用途に転用し,強制収容所のガス室で「ツィクロンB」を使用する.迫害を逃れて亡命を余儀なくされたハーバー本人は,その完成を見ずに没したが,彼の親族の多くは,ハーバーの研究から派生した薬剤によって殺された.ガス室の壁には,シアン化合物の反応が残した痕跡――美しいプルシアン・ブルーの染みが浮かんだ.

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Title: AZUL DE PRUSIA

Author: Benjamín Labatut

ISBN: 9784560090909

© 2024 白水社

▼『ダウン症の歴史』デイヴィッド・ライト

ダウン症の歴史

 中世,啓蒙主義の時代,そして施設隔離政策と優生学の時代をへて獲得した社会統合への道のりの中で,ダウン症・知的障害はどう認識され,位置付けられてきたのか.ダウン症のある人々の歴史を,医学的進展の面だけでなく社会的・政治的文脈から捉え直す論考――.

 ィクトリア朝の精神医療施設から優生学の暗黒時代を経て,現代の遺伝子スクリーニングが孕む倫理的ジレンマに至るまで――ダウン症という一つの疾患概念が辿った軌跡を,膨大な資料を駆使して描き出した書である.1866年,イギリスの医師ジョン・ラングドン・ダウン(John Langdon Down)は,この症状を持つ人々の顔立ちの類似性に着目し,「蒙古症」と命名した.その命名を支えていたのは,ドイツの人類学者ヨハン・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach)が提唱した「人類の五分類」である.結核などの外因によって親の形質が退化し,ヨーロッパ人種がアジア人種の段階へと逆行するという仮説は,時代の進歩史観と深く絡み合っていた.

 著者は,現代の倫理観からラングドン・ダウンを安易に断罪しない.アールズウッド・アサイラムにおいて,教育と写真という手段を通じて患者たちへ真摯な人間的関心を注いだ,進歩的な人物でもあったという矛盾を,明確に指摘している.20世紀に入ると,物語は急速に暗いトーンを帯びる.ラングドン・ダウンの時代に芽生えた教育的関与は顧みられなくなり,遺伝的決定論と優生学が台頭した.ダウン症の子供は出生直後に親から引き離され,巨大な収容施設へ送られることが常識となる.医師たちは親に「この子は永遠の子供(ピーターパン)だ.家庭を守るためにも施設へ」と強く促した.劣悪な環境,感染症の蔓延,先天性心疾患の放置が重なり,当時のダウン症者の平均寿命は9歳から12歳程度にとどまった.

 転換点の一つは,1965年に訪れた.WHO加盟直後のモンゴル人民共和国代表が「蒙古症」という用語の撤回を公式に要求し,これを機に「ダウン症候群」が国際的な正式名称として定着したのである.終盤は,第二次世界大戦後に草の根から燃え上がった親たちの権利擁護運動と,脱施設化の歴史に充てられる.アメリカにおける知的障害者の権利向上の背景には,ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy)の妹ローズマリー(Rosemary Kennedy)の悲劇があった.ロボトミー手術によって重度の障害を負った彼女の存在が,ケネディ一族を障害者福祉へと突き動かした.その流れは,妹ユーニス・ケネディ・シュライバー(Eunice Kennedy Shriver)によるスペシャルオリンピックスの創設へとつながり,ダウン症者の社会参加の土壌を広く耕していった.

 絶望的な愛と連帯によって医学的パターナリズムが打ち破られていく過程を描く著者の筆致は,力強い.しかし著者は,そこで安堵の息をつかせてはくれない.最終章で提示されるのは,NIPT(新型出生前診断)がもたらす現代のジレンマである.国家主導の優生学は姿を消した.だが今度は,親個人の「選択」という名のもとに,ダウン症の胎児の中絶率が一部の国で90パーセントを超える現実がある.社会は彼らをコミュニティに受け入れる寛容さを手にしたように見える.その一方で医学的テクノロジーは,彼らが生まれてくること自体を未然に防ぐ方向へと向かっている.本書はこの最大のパラドックスを静かに据えたまま,筆を置く.

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Title: DOWNS - THE HISTORY OF A DISABILITY

Author: David Wright

ISBN: 4750341320

© 2015 明石書店