▼『玉ねぎの皮をむきながら』ギュンター・グラス

玉ねぎの皮をむきながら

 世界を揺るがした衝撃の自伝!現代ドイツを代表するノーベル賞作家グラスが,本書でナチスの武装親衛隊員だったことを告白した衝撃の自伝.作家,歴史の証言者としての驚くべきグラスの全貌が,皮をむくように明らかになる――.

 い,手触りといった感覚的なトリガーが記憶を呼び起こし,断片が堆積することで全体像が立ち現れる.ギュンター・グラス(Günter Grass)はしばしば若き日の自分を「あの少年」あるいは「彼」と三人称で呼び,老境の語り手と無知で熱狂的だった過去の自己との間に冷徹な距離を置く.一人称で語れば,過去と現在は連続した同一の自己として癒着し,回想はノスタルジーへと堕落する危険を孕む.

 三人称の距離化によってのみ,語り手は「少年」を裁く者の位置に,同時に「少年」であった者の位置に,二重に立つことができる.時間軸もまた年代順には進まない.硝煙の匂い,戦後の耐えがたい飢え,アトリエの粘土の冷たい感触――徹底的に物質的,身体的な記憶を記述することで,歴史の教科書には載らない当時の泥臭い空気感を,読者へ直接届けるのだ.

 本書が出版と同時に激烈な論争を引き起こしたのは,グラスが17歳のとき武装親衛隊の第10SS装甲師団「フルンツベルク」に配属されていた事実を,60年の沈黙を破って告白したことによる.戦後一貫してドイツの過去の直視とナチス犯罪の清算を説き,国家の道徳的良心として君臨した作家が,自身のナチス加担を長年秘匿し続けていたという事実は,右派からは傲慢な偽善,左派からは致命的な裏切りと受け止められた.しかし,告白という行為を文学的問いへと転換したとき,本書の深みが露れる.

私たちは収容所ごとに徹底的に研究するグループやサークルを組織した.それによって一般教養,芸術鑑賞,哲学的認識,信仰の復活,ならびに実用的な知識を育んでいった.こうしたことすべてが時間割を決めて,徹底的に,また同時にきちんきちんとなされた

 『ブリキの太鼓』『犬の年』『ひらめ』に至るまで,グラスが執拗に罪と忘却を主題に据え続けたのは,過去に対する強迫的な代償行為を追求したためである.沈黙があったからこそ,圧倒的な文学群が誕生したパラドックスを認識したとき,グラスの全作品は新たな相貌を帯びて立ち現れる.玉ねぎを剥き続けた先には,何もない.確固たる自己も,贖罪も,真実も存在しない.虚無の前で筆を止めず,記憶の不確実性を方法論として引き受け,語ることの限界を知りながら語り続けることの中に誠実さが宿っている.

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Title: BEIM HÄUTEN DER ZWIEBEL

Author: Günter Grass

ISBN: 4087734595

© 2008 集英社

▼『セビーリャの理髪師』カロン・ド・ボーマルシェ

セビーリャの理髪師 (岩波文庫)

 深窓の令嬢のロジーヌに,一目惚れしたアルマビーバ伯爵.早速身分を隠して熱烈な求愛開始,ライヴァルはなんと彼女の後見人!街の理髪師フィガロの加勢で,あの手この手で攻める伯爵,宝は渡さじと守る老医師,二人の恋の知恵比べはいかに.「フィガロ三部作」の第一作,痛快無比の傑作喜劇――.

 メディ=フランセーズの重要な位置にある歌劇.17世紀以来の伝統的喜劇に,さらなるユーモアと機知に富んだ狂言回しを加え纏め上げる.喜劇『フィガロの結婚』正劇『罪の母』を併せた「フィガロ三部作」中,本作はジュゼッペ・ペトロセッリーニ(Giuseppe Petrosellini)の台本で,1782年に初演.劇作家カロン・ド・ボーマルシェ(Pierre Augustin Caron de Beaumarchais)の原作に忠実だったが,ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の神がかり的傑作《フィガロの結婚》の前に霞んだ.

 スペイン南部のアンダルシア地方,オリーブと小麦が豊かに実る自治都市セビリア.ジブラルタル海峡に通じた港湾都市は,ドンファン伝説を生み,闘牛やフラメンコを発達させた熱情の地である.中世ヨーロッパの床屋は,理容師兼外科医として市民の衛生を管理していた.瀉血,抜歯,手術.医学の発達で床屋と医師のセパレートがなされるまで,床屋は世故に長ける技術職だったに違いない.諷刺は,後見人の老医師バルトロと青年貴族アルマビーバ伯爵の恋争いの滑稽さ,ブルジョア界の厚顔無恥を痛快に描き出す.

 時計職人から宮廷貴族,国王書記官へと成り上がっていくボーマルシェは,音楽と文筆の才に恵まれた好漢であったが,不遜な言動で軽蔑も買った.不思議と,彼を憎からず買う人も多かったという.本書の刊行にあたり,ボーマルシェは「セヴィリアの理髪師の失敗ならびに批判に関する温和なる書翰」と題する序言を付していた.作品に対する批判と真っ向から対立する好戦的な意思表示であり,燃焼である.

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Title: LE BARBIER DE SEVILLE

Author: Pierre Augustin Caron de Beaumarchais

ISBN: 9784003252222

© 2008 岩波書店

▼『所有とは何か』岸政彦,梶谷懐〔編〕

所有とは何か-ヒト・社会・資本主義の根源 (中公選書 138)

 本やスマホ,土地や家屋,雇用や資産.自分のモノとして持っていることが「所有」であり,衣食住や商品取引,資本主義の原点である.こんにちシェアやサブスクがあるのに,ヒトは所有せずにいられない.他方でヒトの生存を守る所有権が,富の偏在を生む元凶となっている.なぜだろうか?経済学や社会学,人類学の第一線の研究者6人が,所有(権)の謎をひもとき,人間の本性や社会の成立過程,資本主義の矛盾を根底から捉えなおす――.

 有とは,法的な権利の表象に過ぎないのか.それとも,文化的に共有される関係の束(bundle of rights)なのだろうか.本書は,近代的所有権という制度的固着から所有を解放し,その動的な実態を問い直す論考である.戦後沖縄の分析(第1章)から導き出されるテーゼは,所有の根拠が国家による保証よりも社会的合意に存するという事実を鮮明に示す.米軍統治下における土地接収は,法なき非公式経済圏における規範の自律的な生成を促した.盗品流通にすら見出される独自の秩序化は,法制度の外部においても人間が規範を自生させる主体であることを思わせる.

 秩序は国家が付与するものではなく,関係者間の交渉と慣行の沈殿によって形成される――この論理は,タンザニアにおけるフィールドワーク(第2章)によって,対抗軸へと発展する.環境の不確実性が高い地域において,固定的私有制は必ずしも合理的ではない.むしろ,分散的所有や贈与こそが高度な保険戦略として機能するという事実は,植民地期に導入された登記制度がなぜ挫折したかを雄弁に物語る.近代的財産権の普遍性は,地方的な幻想へと相対化され,普遍を僭称する制度が,いかに特定の生態的・社会的文脈に依存した構築物であるかが暴かれる.

 中国における「名目上の公有」「事実上の使用権」という二重構造(第3章)は,生存と実効的安定性を優先する制度のプラグマティズム.宋代江南における株式的な小作関係から,現代IT企業が国家と市場の狭間で維持する曖昧な所有形態に至るまで,そこには単一モデルへの収斂を拒む重層的な所有の系譜が一貫して流れている.理論的考察(第4章)においては,ロナルド・コース(Ronald H. Coase)の取引費用概念を再解釈し,青木昌彦の制度論を接合することで,所有の本質が「関係者間の共有された認知」へと深化する.

 地球規模の有限性(第5章)という現実が,所有論を新たな危機へと突き動かす.世界システム論がかつて前提としてきた無限の外部は消失し,限界が顕在化した.現在進行しているのは,資本主義があらゆるものを内部へと回収する「内在化」プロセスである.所有とは,時代と文脈が織りなす制度的妥協の産物,いかなる形態も暫定的かつ交渉可能なものとして現れる.シェア経済が浸透してもなお,私たちが所有を渇望するのはなぜか.所有の拡張は,もはや新たなフロンティアを切り開かず,既存の関係性を再分割するゼロサムの争奪戦へと変容しつつある.

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原題: 所有とは何か―ヒト・社会・資本主義の根源

著者: 岸政彦,梶谷懐〔編〕

ISBN: 4121101391

© 2023 中央公論新社

■「ママが泣いた日」マイク・バインダー

ママが泣いた日 [ジョーン・アレン/ケヴィン・コスナー] [字幕] [レンタル落ち]

 デトロイト郊外の閑静な住宅街.平穏に暮らしてきたウルフマイヤー家の四姉妹を突然の大問題が襲う.父親が突然家を出て行ってしまったのだ.どうやらスウェーデン人の秘書と駆け落ちしてしまったらしい.以来,優しかった母テリーが急に怒りっぽくなり,四姉妹を悩ませることに.一方,独り身となったテリーには,元メジャーリーガーの隣人デニーが急接近してくる….

 理学者カール・G・ユング(Carl Gustav Jung)は,人生の変遷を太陽の運行になぞらえたライフサイクル理論を唱えた.誕生とともに夜の大海から昇った太陽は,青年期を経て中年期にその頂点へと達する.活動範囲が最大化し,遠方を最も強く照らし出すその瞬間,太陽は残酷にも下降を開始する.「正午」を過ぎたのだ.それまでの価値観や理想が劇的に反転(転倒)し始める,避けることのできない転換期の訪れを告げている.

 「人生の正午」に伴う当惑や痛みに対し,的確に対応できる者は稀だ.誰にとっても一度きりの人生において,潮時を見極め,新たな自己へと脱皮するのは容易ではない.本作は,人生の転換点に取り残され,戸惑いと怒り,そして底知れぬ悲しみに暮れるひとりの母親と4人の娘たち,かつての栄光を失った男が織りなす,3年にわたる魂の軌跡を描いた物語である.夫の突然の失踪――裏切られた怒りに狂う母親テリーは,酒に逃避し,棘のある言葉を全方位に撒き散らす.無軌道な振る舞いに翻弄されるのは,多感な時期にある4人の娘たちだ.

 親子は互いを激しく非難し,傷つけ合いながらも,皮肉なことにその依存関係から抜け出せずにいる.そんな一家を静かに,時に無防備に見守るのが,元メジャーリーガーのデニーである.演じるケビン・コスナー(Kevin Michael Costner)は,かつてのスター然としたオーラを脱ぎ捨て,全盛期を過ぎた中年男の悲哀を,自然体で表現している.ヒット作から遠ざかっていた当時のコスナー自身の境遇が,デニーという役柄にメタフィクショナルな深みを与え,枯れた存在感が本作のアンカー(重し)となっている.

 ユーモアと悲劇が同時に降りかかる現実の中で,家族それぞれが抱える問題が臨界点に達したとき,人はようやく自身の「上辺の感情」を解きほぐす余裕を得る.再生のプロセスを描くために,一家は3年という歳月を必要としたのだ.静かな住宅街に流れる四季の彩りは,『若草物語』を彷彿とさせる四姉妹の成長を美しく引き立てる.末娘のモノローグ「怒りは人を変えてしまうが,それを乗り越えた時,人はさらに変われる」――人生の正午を過ぎ,夕刻へと向かう太陽が,再び穏やかな光を取り戻すための希望である.

ママが泣いた日 [DVD]

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  • ケヴィン・コスナー
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原題: THE UPSIDE OF ANGER

監督: マイク・バインダー

118分/アメリカ=ドイツ=イギリス/2005年

© 2005 Film & Entertainment VIP Medienfonds 2+3 GmbH & Co. KG and MDP Filmproduktion GmbH

▼『自白の心理学』浜田寿美男

自白の心理学 (岩波新書 新赤版 721)

 身に覚えのない犯罪を自白する.そんなことはありうるのだろうか?心理学の立場から冤罪事件に関わってきた著者が,甲山事件,仁保事件など,自白が大きな争点になった事件の取調べ過程を細かに分析し,「自分に不利なうそ」をつくに至る心のメカニズムを検証する――.

 事裁判において,自白の真実性を担保する最後の砦とされてきた「秘密の暴露」.犯人しか知り得ない事実――遺体の姿勢や凶器の細部――を被疑者が語るとき,その自白は疑いようのない信憑性を帯びる.本書が抉り出すのは,その秘密がいかに容易く外部から,とりわけ取調べ官の手によって流入し得るか,という脆弱性である. 記憶には,想起のたびに書き換えられる「再構成的性質」がある.エビングハウスの忘却曲線が示す時間的減衰に加え,取調べという極限の閉鎖空間において,被疑者の想起プロセスには外部情報が気づかぬうちに混入する.

 仮に,捜査官が何気なく漏らした「赤い柄の包丁」という断片があれば,被疑者の脳内で「自分が赤い柄を握った感触」という擬似体験へと変質する.この瞬間,自白は真実の吐露であることをやめ,捜査側が用意したパズルの欠片を被疑者が埋めていく共同制作の話へと堕すのである.本書の意義は,被疑者が「やっていない」という客観的事実を,「やったのかもしれない」という内的確信へと塗り替えていく心理過程,すなわち「内面化された虚偽自白」の解明にある.外界から隔離され,精神的に無力化された被疑者は,取調官を唯一の正解を握る絶対者と見なすようになる.

 汚染された自白の逆説的な点は,それがしばしば真実以上に「真実らしく」見えることだ.生の記憶は,断片的で矛盾を含み,曖昧である一方,誘導された自白は,立証に都合よく整理され,論理的整合性と豊かなディテールを備える.「証拠は揃っている」という偽りの提示,「認めれば楽になる」という甘い救済が差し出されたとき,被疑者は自らの記憶を否定し,取調官の筋書きを合理的な真実として受容する.一種の認知的崩壊,個人の人格が組織の論理に飲み込まれていくプロセスである.

 裁判所が整合性のとれた物語を重用するという司法の体質は,美しすぎる嘘を採択し,無骨で不完全な真実を排除する危険を常に孕む.取調べの可視化が進む現代においても,この病理は解消されない.真の汚染は,録画が始まる前の雑談のなかで,あるいは言語化されない心理的圧迫のなかで,静かに,しかし致命的に進行するからだ.人間は,自ら犯していない罪ですら,あたかも体験したかのように切々と語り得る.「自白は証拠の王様」――かつての金科玉条は今や,扱いを誤れば司法の正義を根底から焼き尽くす.

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原題: 自白の心理学

著者: 浜田寿美男

ISBN: 400430721X

© 2001 岩波書店