| インド帝国の警察官としてビルマに勤務したあとオーウェル(1903-50)は1927年から3年にわたって自らに窮乏生活を課す.その体験をもとにパリ貧民街のさまざまな人間模様やロンドンの浮浪者の世界を描いたのがこのデビュー作である.人間らしさとは何かと生涯問いつづけた作家の出発にふさわしいルポルタージュ文学の傑作――. |
パリの高級ホテル厨房の皿洗いの仕事を通じて,ジョージ・オーウェル(George Orwell)は,豪奢な表面と腐臭漂う裏方のあいだに横たわる断絶を描いた.客間では白いナプキンと銀の食器,厨房では汗と怒号と腐った脂の匂い.この対比はディケンズ的な皮肉,だが本書の描写は徹底して具体的であり,労働の物理性――水に浸かり続ける手,16時間続く立ち仕事――から抽象的な告発を立ち上げる.感情は観察の後からしか来ないのは,散文の美徳である.
オーウェルは1929年のパリ滞在中に呼吸器系の不調で入院しており,生涯を通じて慢性的な肺疾患に苦しんだが,結核の診断が下るのは1938年のことである.肉体的消耗の描写がいかに切実であったかは,そうした病歴全体を背景に読むべきだろう.ロンドン篇は,パリ篇と対照をなす.パリでの貧困が「労働過多」によるものであったのに対し,ロンドンでの貧困は「労働不在」――スパイク(救貧院の宿泊施設)を転々とする失業者の漂流――によって定義される.オーウェルが体験した1930年代初頭,英国の救貧法は依然として劣等処遇,すなわち救済をできるかぎり不快なものにすることで依存を防ぐという倒錯した論理のもとで運営されていた.
同一のスパイクへの二夜連続の宿泊が事実上禁じられており,浮浪者たちは強制的に道を歩き続けなければならなかった.この流動の強制が,ロンドン篇に独特のリズムをあたえている.オーウェルはこの体験を,本書に先立つ形でエッセイ"The Spike"に記していた.1931年4月に雑誌Adelhiに発表されたエッセイは,後に短縮・再構成されて本書第27章・第35章へと組み込まれた.両テキストを比較することで,オーウェルの散文が何を省略し何を保持したかを確認できるが,本書の限界にも目を向けなければならない.女性はほぼ不在であり,パリ篇の娼婦や下宿屋の女主人,ロンドン篇の周縁的な人物を除けば,貧困の女性的経験はほぼ視野の外に置かれている.
人種と移民の問題も同様だ.パリには多くのアルジェリア系労働者が存在していたはずだが,彼らの困難はオーウェルの視野に入っていない.これらの限界は,どの視点から書かれた貧困の記録であるかを明確にする.オーウェルは普遍的な貧困論を書こうとはせず,自分が見たもの,感じたものだけを書いた.本書の真の強度は,底辺に降りることによってのみ,上部構造の欺瞞が可視化されるという命題であり,後の全体主義批判の鋭さは,この処女作において磨かれた観察の習慣なしには考えられない.権力の語りに対して下から異議を唱える手法を,オーウェルはパリとロンドンの裏通りで習得したのだ.
++++++++++++++++++++++++++++++
Title: DOWN AND OUT IN PARIS AND LONDON
Author: George Orwell
ISBN: 4003226224
© 1989 岩波書店
