| ウェールズの歴史を背景に,魔法の魚の神託と埋もれた財宝をめぐる顛末を描いた奇想天外な物語.グリム童話のような土着的で不気味な雰囲気,滑らかな独自の語り口が魅力の奇想短篇――. |
ロンドンのソーホーを根城とした異端の作家ジェラルド・カーシュ(Gerald Kersh)にとって,酒場とは,人間観察の実験室であり,物語を豊かに醸造するための発酵槽であった.本作もまた,カーシュ作品の紋章ともいえるパブでの喧騒から幕を開ける.声高な議論,怪しげな権威,酔っ払いの雄弁――一見すると他愛のない前置きが,現実と地続きに錯覚させられた語り手の世界観の入口である.
本作の中心モチーフである「魚がお告げをもたらす」という事象は,荒唐無稽に映るかもしれない.しかし,民話の文法に照らし合わせれば,水底から現れる魚は,異界と此岸を結ぶ境界の使者(リミナル・メッセンジャー)という普遍的な役割を担う.いわば,グリム童話『漁師とその妻』において,魚が人間の欲望と宇宙の秩序を調停する媒介者とされたことと同義である.
カーシュの卓越性は,神話的で元型的なイメージを,ウェールズの土着信仰という具体的な土壌へと植え直した点にある.これにより,無国籍で普遍的な寓話に,泥臭く生々しい地理的な固有性という根を張らせることに成功している.本作において,超自然的な現象は声高な主張として提示されることはない.それは微視的な既成事実の積み重ねの果てに,あたかも自然発生したかのように立ち現れる.
語り手は読者に向かって「信じてくれ」などという野暮な嘆願は一切口にしない.ただ淡々と,しかし偏執的に事実の断片を並べ立てることで,読者を「自ら信じるしかない地点」へと静かに追い詰めていくのである.カーシュ特有の語り口は,日本の落語における「マクラ」と似ているようだ.本題へと入る前に開陳される,歴史的・民俗学的な長い饒舌.それが読者の疑いや警戒心を解きほぐし,語り手に対する奇妙な信頼感を醸成するのだ.
++++++++++++++++++++++++++++++
Title: THE ORACLE OF THE FISH
Author: Gerald Kersh
ISBN: 4794927398
© 2003 晶文社
