| パリ郊外のカフェを舞台に,死亡も生存も確認されない夫を待ち続ける女,テレーズの愛の記憶とあるがままの日常を乾いたタッチで描いた物語――. |
マルグリット・デュラス(Marguerite Duras)自身が「他に比べようもない喜び」と語った創作行為――ナルシシズムであり,同時に自己解剖でもある――戦後フランスの深いトラウマと記憶の不確かさを抉り出すような脚本においても表出している.舞台となるのは,セーヌ川沿いのピュトー.かつてゲシュタポに連行されて行方不明となった夫の帰還を何年にもわたり待ち続ける女性テレーズが,ある日,夫と瓜二つの浮浪者と出会う.彼は記憶を失っており,自分の過去も名も知らない.テレーズは彼を夫と信じ,失われた記憶を呼び戻そうと涙ぐましい努力を重ねた.
この物語が実話に基づくことは,あまり知られていない.1957年のある新聞の三面記事に,記憶喪失となって精神病院に入れられた男性を,戦争で消息を絶った夫だと信じて通い詰める女性の話が伝えられていた.デュラスはこの現実の出来事に強い衝撃を受け,ジェラール・ジャルロ(Gérard Jarlot)とともに物語の構想を練り始める.この脚本は,映画化される過程で大きく改稿された.監督アンリ・コルピ(Henri Colpi)と美術担当ジャスミン・シャスネ(Jacqueline Chasney)は,原案をもとにしながらも独自の映像的解釈を加え,視覚表現としての「不在」の感覚を追求した.コルピはジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre)の影響を公言しており,不在者の存在が周囲の関係性を根本から揺さぶる.
実存的構造は,サルトル的な「まなざし」の問題にも通じる.デュラスにとって「失われた者を待つ」というテーマは,私小説的でありながら同時に国家的記憶の問題でもあった.戦後フランスでは,収容所からの生還者とそれを迎える者との間に,多くの齟齬と沈黙があった.そこにデュラスの筆は食い込んでゆく.テレーズの「待つこと」に潜む病的な執着と自己欺瞞,それを支える町の日常と哀しみの風景――いずれもが,現実と記憶のあいだで揺れる人間の脆さを炙り出す.表面上は静かで抑制された描写でありながら,根底には戦争が残した消えない爪痕が生々しく息づいている.
デュラスは当初,映画の撮影にも関わる意欲を見せていたという.だがその意向はコルピと折り合わず,結局脚本の提供という形にとどまった.映画の主演を務めたアリダ・ヴァリ(Alida Valli)は,この作品で自身のキャリアにおいて新たな局面を切り開いたと語っており,抑制と熱狂の同居は,まさにデュラス的な「熱病としての愛」の表象でもあった.実話に着想を得た文芸的シナリオから,映画というメディアに翻訳され,ふたたび本書において再構成されるという複層的な循環をたどる.物語が閉じても,描かれた不在者の気配はなおも残り続ける――事実と虚構の境界を意図的に曖昧にした,デュラスによる記憶のエクリチュールである.
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Title: UNE AUSSI LONGUE ABSENCE
Author: Marguerite Duras, Gérard Jarlot
ISBN: 448002736X
© 1993 筑摩書房
