▼『櫂』宮尾登美子

櫂 (新潮文庫)

 高知の下町に生れ育った喜和は,十五の歳に渡世人・岩伍に嫁いだ.芸妓紹介業を営み始めた夫は,商売にうちこみ家を顧みない.胸を病む長男と放縦な次男を抱え必死に生きる喜和.やがて岩伍が娘義太夫に生ませた綾子に深い愛をそそぐのだが――.

 前高知の色街を背景に,女の波瀾万丈な半生が鮮烈に描かれる.本作は,著者の代表的四部作――『櫂』『春燈』『朱夏』『仁淀川』――の出発点であり,荒波を進む舟の行方を支える一本の「櫂」になぞらえ,女が人生をどう漕ぎ抜けるかという主題の象徴として巧みに機能している.この櫂を手にしている女性・喜和は,15歳で渡世人崩れの富田岩伍に嫁ぎ,家庭を顧みぬ夫と病弱な長男,放蕩の次男,さらには夫が芸者に産ませた娘に向ける偏愛という,まさに試練づくめの人生を生きねばならなかった.だが,喜和は決して被害者として描かれることはない.

女子(おなご)は年頃になれば,誰に教えられたわけでもないのに,生れた家が己の死場所ではないことが,ひとりでに判って来るように喜和には思える.他家から入って来た里江がこの家に馴染み切ってゆくのと入替りに,この家の娘は此処から出てゆくのが,それもなるべく早く出るのが親孝行なのだと躰からして弁えが出来上って来るように喜和には感じられる

 登場人物の造形は,どれも立体的である.岩伍は短気で粗暴な極道者だが,一方でどこか憎めない,時に茶目っ気さえ感じさせる滑稽さを帯びており,暴力的な夫という図式を超えている.このあたりの人物描写には,著者が実際に見聞きした家族の姿が反映されていると考えられ,虚構と現実の交錯が複雑な深みを与えている.綾子の師匠や友人たちの細やかな描写も,時代背景の多様な層となって,作品世界に陰影を添えている.冒頭の楊梅(やまもも)の場面は,梅雨の初め,毎年決まって現れる楊梅売りから家族で買い求め,皆が夢中になってそれを味わう様は,季節の風物詩にとどまらず,一家にとってのささやかな祝祭でもある.ほんの数時間で痛む果実に塩をまぶし,口に運ぶ描写は,過剰なまでに生々しい.

 そこにあるのは一種の生の執着であり,どれほど貧苦にあっても,人間が「いま」にしがみつきながら喜びを見出す姿である.著者自身が語ったところによれば,執筆時,自分の生家にまつわる記憶を「書くことで供養した」と述懐している.作中で描かれる家庭の苦難や性の問題,芸妓という制度へのまなざしは,すべて女性が沈黙し続けてきた「過去への証言」であり,それを書き切ることでようやく文学者としての自己が立ち上がったのである.モデルとなった父親(岩伍)について,著者は「書かずには赦せない,だが書いたことで初めて赦せた」とも語っている.ここには,文学が内的な和解の場であることが如実に示され,とりわけ土佐の風土と女の情念との結びつきは,他の作家にはない独自の地平を築いている.

 宮尾作品の魅力の一つは,明治・大正・昭和初期の地方都市に息づく人間たちの声を,あたかも今,耳元で語られているかのように蘇らせる語り口にある.喜和の姿は,苦悩しながらも最後まで崩れない「女の誇り」の具現,それは戦後女性文学の系譜の中においての到達点である.著者は『春燈』『朱夏』『仁淀川』と続けて,土佐に生きた女性たちの歴史を描き継いでいくことになる.だが,その原点はまちがいなく,本書にある.自己の痛みを曝け出しながら,普遍的な人間ドラマとして昇華したこの作品こそ,宮尾文学の精髄であり,日本の女性作家による「家族小説」の系譜を再定義した.その筆致は決して告発的ではなく,むしろしなやかである.

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原題: 櫂

著者: 宮尾登美子

ISBN: 4101293082

© 1996 新潮社