| 著者の生涯かけての信条は「生命の畏敬」(シュバイツァー)であった.戦争で最愛の子を失った一人の母と,黒人混血児たちとの出会いは偶然を超えた天命であったろう.良質のユーモアを以て書かれたこの自伝は献身・愛の巡礼記でもある――. |
岩崎彌太郎を祖父にもつ沢田美喜は,男勝りで聖書に惹かれる少女であった.負けん気が強いけれども,さっぱりとした性格は人に好かれ,周囲には彌太郎の気概を継いだ頼もしい子と映った.20歳で外交官澤田廉三と結婚してからは,アルゼンチン,中国,イギリス,フランスの都を生活の拠点とし,パール・S・バック(Pearl Sydenstricker Buck),ジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker)と交誼を結ぶ.華やかな社交界での刺激を受ける一方,満たされなさを社会事業に求める.その矢先,3人の息子は戦地に赴き,末の子は戦死した.
駐英時代,ロンドン郊外にある孤児院ドクター・バーナードス・ホームで見た子ども支援の充実体制,教育と職業訓練の緊密,職員のプロフェッショナリズム,子どもの生き生きとした表情.それらに感銘を受けた沢田は,戦後の財閥解体と家族の離別という悲惨に投じられ,半ば茫然とするのみであった.彼女が自分の環境を儚んでいると同様,敗戦後の日本では戦中とは違った形で,生存競争が激化していた.巷には,瓦礫,闇市,失業,貧困,街娼が発生しており,肌の黒い子,白い子を交えた浮浪児が存在していた.どのような形であれ,生きてこそ未来は兆す.けれども,嬰児の遺骸が道端に転がり,川に浮いている有様である.
天国に至る道は狭く,険しい――そんな聖書の言葉が沢田の中に根付くのは,新聞にくるまれた肌の黒い赤子の死体を抱いたとき,ドクター・バーナードス・ホームの記憶が鮮烈に甦ってきた瞬間である.大人の都合と欲望により,簡単に蹂躙される児童,人種差別がそれに重なり,この子たちは保護と愛情,祝福に見放されている.その事実に気づき,進駐軍と日本人の妨害にも屈せず,大磯にエリザベス・サンダース・ホームを開く.ドクター・バーナードス・ホームと同じように,礼拝堂を備えた孤児院施設であった.ホームは2,000人近い混血孤児を育て,半数近くを米国に養子として送り出している.
養子縁組も積極的に進め,500人以上の子どもが,南米に移り住んだ.しかし,ホーム卒業後の彼らが犯罪者となり,沢田が身柄引受人になったことも数知れずあった.孤児で混血――差別と偏見が,彼らの心をも屈折させたであろう.ホーム創立10年記念の写真集『歴史のおとし子』(1958)は,大変な評判を呼んだが,感動をもって子どもたちの日常を切り取るある種の非礼さには,人はなかなか自省が働かない.本書は,題を「黒い肌」と「透る心」とすべきだったかもしれない.しかし,肌の色の濃さを対にすることで,内面と外見に一体性を持たせようとしたのであろう.沢田には口癖があった.「信仰半分,意地半分」ということである.
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原題: 黒い肌と白い心―サンダース・ホームへの道
著者: 沢田美喜
ISBN: 009503254249
© 1963 創樹社
