▼「屋根裏の散歩者」江戸川乱歩

屋根裏の散歩者 (江戸川乱歩文庫)

 郷田三郎は引っ越したばかりの下宿で,偶然,屋根裏への入口を見つける.異質な空間に魅力を覚えた郷田は,昼夜を問わず屋根裏を「散歩」し,天井の隙間から他人の隠された本性や生活の秘密を盗み見る興奮に酔いしれるようになる. ある日,彼は天井裏の小さな穴を利用した恐ろしい犯罪を思いつく.自殺として片付けられようとしたこの事件を,名探偵明智小五郎が明敏な推理力を発揮する――.

 偵役の明智小五郎と主人公の郷田三郎が語り合う西洋犯罪譚の数々――同僚を殺して実験室で焼却しようとしたウェブスター博士(John White Webster),詩才ゆえに後世ブルワー=リットン(Edward Bulwer-Lytton)の小説の主人公ともなった殺人者ユージン・エアラム(Eugene Aram),批評家でありながら保険金目当ての毒殺者でもあったウェインライト(Thomas Griffiths Wainewright),フランスの「青髭」と渾名されたランドリュー(Henri Désiré Landru),ヒ素毒殺で処刑された英国人弁護士アームストロング(Herbert Rowse Armstrong)――いずれも実在の事件である.

 東京の下宿屋という極めて日常的な空間,天井裏という誰も顧みない隙間に「舞台」を見出す.日本家屋の小屋組は西洋建築の断熱された屋根裏と違い,棟木と梁のあいだを人が這って移動できる余地を持つ場合が多く,この建築的特性がなければ猟奇的着想はそもそも成立し得ない.「退屈だから人を殺す」という動機の希薄さは,動機なき殺人を主題化したアンドレ・ジッド(André Gide)『法王庁の抜け穴』の主人公ラフカディオを想起させ,郷田はただ倦怠から逃れるために人を殺す.江戸川乱歩がこの作品で提示したのは,「近代人の空虚」の日本的変奏といえる.

 作中で郷田の脳裏をよぎる台詞"MURDER CANNOT BE HID LONG…"は,シェイクスピア(William Shakespeare)『ヴェニスの商人』第二幕第二場,道化ランスロットの台詞であり,罪の露見を予告する不吉な引用.郷田は「偶然」に一度重なった好条件を,いつのまにか「必然」であるかのように錯覚し,計画の根本的な脆弱性に気づかなかった.証拠ではなく心理の綻びによって崩壊する殺人者――明智が偽の証拠(実は釦屋で仕入れただけの釦)を突きつけて自白を引き出す最後の場面にも貫かれている.物的証拠が実は存在しないにもかかわらず,心理的圧力だけで犯人を陥落させるという手法は,後年の倒叙型探偵小説にしばしば見られる「見せかけの証拠」である.

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原題: 屋根裏の散歩者

著者: 江戸川乱歩

ISBN: 4394301505

© 2015 春陽堂書店