■「氷の微笑」ポール・ヴァーホーヴェン

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 元ロックスターのナイトクラブ経営者がアイスピックで刺されてベッドの上で死んでいた.サンフランシスコ市警の刑事ニックは,被害者の恋人で美人作家のキャサリンを尋問する.彼女は数カ月前に事件とそっくりのミステリーを出版していたのだ.彼女に翻弄されて捜査が難航する中,ニックの周囲で次々と新たな殺人事件が起きる….

 は自分の物語の主体なのか,それとも誰かが書いた筋書きの中の登場人物にすぎないのか.殺人の容疑者として刑事ニック・カランに追われる犯罪小説家キャサリン・トラメルは,現実の殺人を予告するかのような小説をすでに発表している.探偵が謎を解読しようとすればするほど,彼はその解読行為そのものがあらかじめ書かれた筋書きの一部かもしれないという眩暈に囚われる.古典的な推理劇が「謎の解決」を約束するのに対し,本作が提示するのは謎の深化だ.ジョー・エスターハス(Joe Eszterhas)が13日間で書き上げたとも伝えられる脚本は,製作会社Carolco Picturesにより300万ドルで買い取られた.

 欲望が経済的な論理によって数値化され,その数値が現実の意味を先取りする――キャサリンの小説が現実の殺人の先行テクストとなるのと同じ論理が,スクリーンの外でさきに走っていた.キャサリンを演じるシャロン・ストーン(Sharon Stone)は,本作以前に主演女優としての地位はいまだ確かでなかった.撮影中,サンフランシスコのロケ現場にはGLAAD(Gay & Lesbian Alliance Against Defamation)やQueer Nationの活動家が集結し,バイセクシュアルの女性が殺人者として描かれることへの抗議として口笛を吹き続けながら撮影を妨害した.騒動は意図に反して公開前の話題を大量に提供し,結果的に映画を利することになった.

 MPAA(Motion Picture Association of America)は当初の提出版にNC-17指定を課したため,ポール・バーホーベン(Paul Verhoeven)はR指定取得のために再編集を余儀なくされた.規制との交渉が映画テクストの一部となったという意味で,本作は完成後もなお書かれ続けた作品と言える.尋問室での有名な場面――ストーンが足を組み替える数秒――をめぐっては,撮影時の経緯について監督と女優の証言がいまなお食い違ったまま記録に残っている.いずれが正確であれ,この場面が映画史上もっとも論じられた瞬間のひとつとなったことに疑いはない.

 問われるべきは撮影の経緯ではなく,この場面が何を演じていたかである.キャサリンは男たちの視線を承知のうえで,欲望を審問の武器に変える.見ることによって権力を行使しているはずの男たちが,その瞬間に見ることの捕虜となる.まなざしを権力としてきたフィルム・ノワールの伝統が,文字どおり内側から支配される.アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)「めまい」(1958)がサンフランシスコを男性の妄想と対象喪失の地として刻印してから34年,バーホーベンはその遺産を意識的に参照しつつ,欲望の帰結をサンフランシスコで意図的に保留してみせた.

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原題: BASIC INSTINCT

監督: ポール・ヴァーホーヴェン

128分/アメリカ/1992年

© 1992 Canal+ D.A.