▼『国語学史』時枝誠記

国語学史 (岩波文庫)

 日本語とはいかなる言語か? 『万葉集』『古事記』の注釈や,「てにをは」の役割,仮名遣いや表記法など,平安から明治期までの長い歴史のなかで,文人・国学者らが捉えてきた日本語の姿を明らかにする.西洋から移入された言語学の枠組みではなく,自前の「国語学史」から日本語の本質に迫らんとする時枝誠記(1900―67)の高らかな宣言とその豊饒なる成果――.

 わゆる「言語過程説」を介して,日本語研究の歴史を再叙述する.この一点において本書は,記述と理論が分かちがたく結びついた歴史書として読まれなければならない.徹底した基礎付けの姿勢は,著者が同時期に刊行した主著『国語学原論』と表裏をなし,研究史を叙述する前に自らの方法論的立場を明示するという構成は,後世の読者に対して,客観的な通史を装わないことを宣言している.

 研究史の五期区画は,おおむね妥当な歴史的粒度を保っている.とりわけ第三期(明和・安永期より江戸末期)は本書の白眉であり,鈴木朖による語法研究二大学派の統一,本居春庭による活用「段」の発見,僧義門による活用形体系の大成の系譜が丁寧に追われる.一方,第五期の扱いにはやや整合性の揺らぎが見られる.「明治初年より現代に至る」と括られるこの時代は,口語文典の編纂から西洋言語学の輸入にいたる多様な動向を内包しており,前四期と比較して論述の密度に差がある.

 歴史的距離の近さゆえの難しさでもあるが,著者自身が批判的に関わった同時代の論争――橋本進吉との品詞・活用論争など――が記述主体の視座を揺るがすことも無関係ではあるまい.各時代の研究に「言語過程」への自覚がいかに芽生えたかを読み取ろうとする視座は,日本語研究の独自性を,外来理論への依存から独立した内在的な発展として再評価する意図があり,歴史的意義と同時に思想的限界の双方が宿っている.

 著者は,国語を研究する行為の歴史を書こうとした.言語過程説という特定の理論枠組みによって歴史を統一的に叙述することは,理論の射程外にある研究の意義を過小評価する危険を常に孕む.実際,第四期に登場する和蘭語研究との比較言語論的示唆が,枠組みの外へと逸出しそうになりながら十全に展開されないまま終わる箇所は,その限界の一端を示しているかもしれない.

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原題: 国語学史

著者: 時枝誠記

ISBN: 4003815041

© 2017 岩波書店