▼『ダウン症の歴史』デイヴィッド・ライト

ダウン症の歴史

 中世,啓蒙主義の時代,そして施設隔離政策と優生学の時代をへて獲得した社会統合への道のりの中で,ダウン症・知的障害はどう認識され,位置付けられてきたのか.ダウン症のある人々の歴史を,医学的進展の面だけでなく社会的・政治的文脈から捉え直す論考――.

 ィクトリア朝の精神医療施設から優生学の暗黒時代を経て,現代の遺伝子スクリーニングが孕む倫理的ジレンマに至るまで――ダウン症という一つの疾患概念が辿った軌跡を,膨大な資料を駆使して描き出した書である.1866年,イギリスの医師ジョン・ラングドン・ダウン(John Langdon Down)は,この症状を持つ人々の顔立ちの類似性に着目し,「蒙古症」と命名した.その命名を支えていたのは,ドイツの人類学者ヨハン・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach)が提唱した「人類の五分類」である.結核などの外因によって親の形質が退化し,ヨーロッパ人種がアジア人種の段階へと逆行するという仮説は,時代の進歩史観と深く絡み合っていた.

 著者は,現代の倫理観からラングドン・ダウンを安易に断罪しない.アールズウッド・アサイラムにおいて,教育と写真という手段を通じて患者たちへ真摯な人間的関心を注いだ,進歩的な人物でもあったという矛盾を,明確に指摘している.20世紀に入ると,物語は急速に暗いトーンを帯びる.ラングドン・ダウンの時代に芽生えた教育的関与は顧みられなくなり,遺伝的決定論と優生学が台頭した.ダウン症の子供は出生直後に親から引き離され,巨大な収容施設へ送られることが常識となる.医師たちは親に「この子は永遠の子供(ピーターパン)だ.家庭を守るためにも施設へ」と強く促した.劣悪な環境,感染症の蔓延,先天性心疾患の放置が重なり,当時のダウン症者の平均寿命は9歳から12歳程度にとどまった.

 転換点の一つは,1965年に訪れた.WHO加盟直後のモンゴル人民共和国代表が「蒙古症」という用語の撤回を公式に要求し,これを機に「ダウン症候群」が国際的な正式名称として定着したのである.終盤は,第二次世界大戦後に草の根から燃え上がった親たちの権利擁護運動と,脱施設化の歴史に充てられる.アメリカにおける知的障害者の権利向上の背景には,ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy)の妹ローズマリー(Rosemary Kennedy)の悲劇があった.ロボトミー手術によって重度の障害を負った彼女の存在が,ケネディ一族を障害者福祉へと突き動かした.その流れは,妹ユーニス・ケネディ・シュライバー(Eunice Kennedy Shriver)によるスペシャルオリンピックスの創設へとつながり,ダウン症者の社会参加の土壌を広く耕していった.

 絶望的な愛と連帯によって医学的パターナリズムが打ち破られていく過程を描く著者の筆致は,力強い.しかし著者は,そこで安堵の息をつかせてはくれない.最終章で提示されるのは,NIPT(新型出生前診断)がもたらす現代のジレンマである.国家主導の優生学は姿を消した.だが今度は,親個人の「選択」という名のもとに,ダウン症の胎児の中絶率が一部の国で90パーセントを超える現実がある.社会は彼らをコミュニティに受け入れる寛容さを手にしたように見える.その一方で医学的テクノロジーは,彼らが生まれてくること自体を未然に防ぐ方向へと向かっている.本書はこの最大のパラドックスを静かに据えたまま,筆を置く.

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Title: DOWNS - THE HISTORY OF A DISABILITY

Author: David Wright

ISBN: 4750341320

© 2015 明石書店