▼『死に山』ドニー・アイカー

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

 1959年,冷戦下のソ連・ウラル山脈で起きた遭難事故.登山チーム九名はテントから一キロ半ほども離れた場所で,この世のものとは思えない凄惨な死に様で発見された.氷点下の中で衣服をろくに着けておらず,全員が靴を履いていない.三人は頭蓋骨折などの重傷,女性メンバーの一人は舌を喪失.遺体の着衣からは異常な濃度の放射線が検出された.最終報告書は「未知の不可抗力によって死亡」と語るのみ――.

 ソ連のウラル山脈北部,先住民マンシ族の言葉で「死の山」を意味するホラチャフリ山の斜面で,ウラル工科大学(UPI)の学生を中心とした9名が怪死を遂げた.この1959年2月の事件が世界中のミステリー愛好家を惹きつけてやまないのは,現場に残された異常な痕跡の数々――内側から切り裂かれたテント,氷点下40度の猛吹雪のなか裸足や下着姿で外へ出た足跡,外傷がないにもかかわらず粉砕された頭蓋骨や肋骨,舌と眼球が欠損した遺体,衣服から検出された高濃度の放射線――が存在するからだ.

 20世紀最大の未解決事件の一つに数えられる悲劇には,KGBの秘密兵器実験,UFOの飛来,雪男(イエティ)襲撃,マンシ族による呪いや報復など,荒唐無稽な仮説群が飛び交ってきた.著者は米国海洋大気庁(NOAA)の専門家などの協力を仰ぎ,流体力学の観点から「カルマン渦列」という自然現象の関与を仮説として提示する.ホラチャフリ山の左右対称なドーム状の地形とウラル山脈を吹き抜ける強風が相互作用し,交互の渦列を連続して形成した結果,人間が聴覚で知覚できない超低周波音(インフラサウンド)が発生したというものだ.

 一定の周波数帯のインフラサウンドが猛烈な吐き気や理由なき極限の恐怖を誘発しうるという知見を援用し,深夜のテントの中でこの「見えざる恐怖」に襲われた9名が錯乱し,テントを自ら切り裂いて雪原へ出たという推論である.しかし,本仮説には物証との根本的な齟齬がある.1959年当時の調査報告および後年の再調査(ロシア連邦捜査委員会:2015–2019)がともに確認しているのは,テントから森へ続く足跡はすべて一人一人が通常のペースで歩いていたことと一致しており,現実の,あるいは想像上の脅威からパニック状態で逃げた集団の足跡とは一致しない.

 2020年にはロシア連邦検察がスラブ雪崩を公式死因として発表し,2021年にはスイス連邦工科大学ローザンヌ校およびチューリッヒ校の研究チームが査読論文においてスラブ雪崩説を数値モデルで実証した.本書の仮説は,刊行からわずか数年で主流の座を明け渡している.法医学的な致命傷――雪の荷重による死後圧迫なのか,渓谷への滑落時の衝撃なのか――についても,一部の謎を収束させるために強引に捨象しており,未解決の余白は著者が認めるよりはるかに広い.美しくも無慈悲な自然と対峙した若者たちへ捧げられた鎮魂歌としての価値は疑いないが,科学的仮説の書として読む場合には,その後の研究史を参照したうえで手に取るべき一冊である.

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Title: DEAD MOUNTAIN - THE UNTOLD TRUE STORY OF THE DYATLOV PASS INCIDENT

Author: Donnie Eichar

ISBN: 4309207448

© 2018 河出書房新社