| 根性論を押し付ける,相手を見下す,責任転嫁,足を引っ張る,自己保身,人によって態度を変える……どの職場にも必ずいるかれらはいったい何を考えているのか?これまで7000人以上を診察してきた著者は,最も多い悩みは職場の人間関係に関するものだという.理屈が通じない,自覚がない……やっかいすぎる「職場を腐らせる人たち」とはどんな人なのか? 有効な対処法はあるのか――. |
誰もが職場で感じてきた人間関係の違和感や不快感という曖昧な情動に輪郭を与え,客観視を可能にする.名前のつかない苦しみは抵抗のしようもない.類型化はそれ自体が,心理的防衛の第一歩となる.ニューサウスウェールズ大学のウィル・フェルプス(Will Felps)らは,チーム内にたった1人の問題ある人物がいるだけで集団全体のパフォーマンスが30〜40パーセント低下することを報告しており,被害が軽微にとどまったグループに共通していたのは「無視」「ユーモア」「穏やかな是正」など,感情的対立を避ける対処法だったという.
アンナ・フロイト(Anna Freud)が1936年『自我と防衛機制』で体系化した防衛機制は,自らが受けた恐怖を克服するために無意識のうちに加害者へと変貌する心の働きを指すものだった.フロイトはその典型例として,歯科医ごっこをして人形を「治療」する子どもを挙げた.人は,恐怖の対象を演じることで,支配される側から支配する側へと心理的に転位するのである.職場における理不尽な「指導」の多くが,この回路を経由している可能性は否定できない.こうした洞察を経たうえで著者が下す診断は,無駄な消耗から人を守る,実用的な対応策である.感情論でなく手順に落とし込む処方は,当事者が消耗しきった状態でも実行可能な点で,臨床的に優れている.
著者が最も厄介な存在として据えるゲミュートローゼ(Gemütlos)は,ドイツの精神科医クルト・シュナイダー(Kurt Schneider)が定義した「情性欠如者」の概念――良心と共感が著しく欠落した状態――を指す.現代の診断体系では反社会性パーソナリティ障害やサイコパシーに近接するが,シュナイダー自身は人格の極端な変種として記述していた.異常な人格を社会的事実として扱う視座は,著者が「変えようとするな」と繰り返す実践的助言の哲学的根拠ともなっている.一方で,「ターゲットにされやすい人の特徴」には,慎重な読解が求められる.「他人の話を真に受ける」「自信がない」といった属性の列挙は,一歩間違えれば被害者非難の論理に横滑りする危険をはらむ.
「誠実に努力する善良な人ほど標的になりやすい」という著者の指摘の含意は,非対称な力学を理解したうえで加害者の嗅覚を逆手にとる自己分析を促すことにある.認知行動療法の観点からも,他者の悪意を個人的なものと解釈する「個人化の歪み」がうつ・不安の増悪因子として広く認められており,著者が処方する「部分交渉」「記録の蓄積」といった手続き論的アプローチは,認知の歪みを外側から矯正する設計として読むこともできる.職場を腐らせる人とは,腐った人間性の持ち主である.本書は,職場の不条理を個人の性格の悪さという浅い次元で片づけず,平等幻想の崩壊という社会構造論を交差させている.それはたしかに読者に絶望を手渡す.しかし絶望は,正しく与えられたとき,人を守る武器になる.
++++++++++++++++++++++++++++++
原題: 職場を腐らせる人たち
著者: 片田珠美
ISBN: 4065351928
© 2024 講談社
