■「エッシャー 視覚の魔術師」ロビン・ルッツ

エッシャー 視覚の魔術師 [DVD]

 <だまし絵>,トリックアートで知られるオランダ人版画家・画家のマウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898~1972).本作品は彼の知られざる波乱に満ちた人生と,今なお人々を魅了し続ける作品の秘密に迫ったアート・ドキュメンタリー.日記や書簡,二人の息子へのインタビューなど家族や収集家の証言等を手掛かりに,創作の足跡を丹念に辿り,彼の立体的な作品をCGアニメーションを用いてさらに斬新な表現へと導く….

 論家や美術史家による後知恵の解釈を排し,マウリッツ・エッシャー(Maurits Cornelis Escher)が遺した日記・書簡・講義ノートの言葉のみで全編のナレーションを構成している.これにより観客は,「視覚の魔術師」と称された孤高の版画家の脳内へ,一人称的な視点から没入することになる.エッシャーの作品群《相対性》《滝》などは,ロジャー・ペンローズ(Roger Penrose)や数学者ハロルド・コクセター(Harold Scott MacDonald Coxeter)と活発な書簡交流を生んだことで知られている.コクセターは1954年以降の文通においてポアンカレ円盤による双曲幾何学の分割図をエッシャーに示し,エッシャーの《円の極限》シリーズを触発した.ペンローズもまた,エッシャー作品に触発されて不可能図形を考案し,《滝》《上昇と下降》の着想に貢献している.

 影響は相互的であり,双方が互いの思考を前進させた.若きエッシャーは数学と科学の成績が極めて低く,学校の落第生であった.数式という抽象言語を習得できなかった代わりに,空間と平面の分割という視覚的言語を通じて,数学の論理が要請する地点へ「別回路」を経由して辿り着いたものだった.芸術家としては論理的すぎ,数学者としては直感的すぎる.いかなるコミュニティにも属しきれないエッシャーの根源的な孤独と相克を,彼自身の言葉を通じて窺い知れる.「自分は芸術家ではなく,数学者たちの仲間だ」――自嘲気味に語る声からは,境界線上に立つ者の哀愁と矜持が,押しつけがましさなく立ち上る.

 映画後半,1960年代後半のサイケデリック・ムーブメントにおいて,ヒッピー文化の若者たちがエッシャーの作品を幻覚的なヴィジョンと重ね合わせて熱狂的に受容した時代に触れられる.ミック・ジャガー(Michael Philip Jagger)は1969年1月1日付の書簡で,アルバム・ジャケットへの作品使用を求めてエッシャーに接触した.書き出しは "Dear Maurits" という,面識のない相手のファーストネームを呼び捨てにする形式であった.エッシャーは自ら筆をとり,ジャガー側の担当者に宛てて返答している.本文では「多忙により新たな依頼を受ける余裕はない」と実務的に断り,追伸にこう記した.「ジャガー氏にお伝えください.私はあなたにとって"マウリッツ"ではなく,M.C.エッシャーです」.同じ1969年にエッシャーがモット・ザ・フープル(Mott the Hoople)のデビュー・アルバムに《爬虫類》の使用を許諾している.

 ローリング・ストーンズへの拒絶を「大衆文化への根源的な無関心」と単純化することは難しい.エッシャー自身が述べた理由は,公正さの問題だった.夥しい数の依頼を断ってきた中で,特定の相手だけ例外とすることはできないというのが基本的な立場であり,ストーンズの音楽がエッシャーの趣味に合わなかったことも関係したようだ.礼節の形式を踏まなかったジャガーへの冷やかな一行は,付随的な皮肉であって,拒絶の本旨ではない.エッシャーの姿勢が示すのは,選択の軸を自らの内部に固定した人間の一貫性である.テセレーションや空間の捻じれという問題系への集中は本物であった.商業的依頼への態度を一義的に決定したわけではなく,エッシャーなりの取捨基準があった.

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原題: ESCHER - HET ONEINDIGE ZOEKEN

監督: ロビン・ルッツ

80分/オランダ/2018年

© 2018 Stichting Prototo © 2018 Robin Lutz AV productions. All M.C. Escher works © The M.C. Escher Company B.V. -Baarn-Holland.