▼『進化論を拒む人々』鵜浦裕

進化論を拒む人々: 現代カリフォルニアの創造論運動

 アメリカは人種的にも,文化的にも,宗教的にも多様である.この多様な価値観を受け入れ,それでもなお一つの全体社会として存立する道を模索している.はたして公立学校は,宗教的多様性を尊重しながら,かつ「国家と宗教」の分離原則を維持できるようなカリキュラムを作れるのだろうか.無信仰をふくめ,あらゆる信仰の学生を受け入れられるような学校社会を作れるのだろうか.教育現場を舞台にした三つの事件を追って,もう一つのアメリカをリポートする――.

 メリカ合衆国が建国以来抱えてきた根本的なジレンマ――「多様性の尊重」「政教分離」が衝突する地点――として,進化論教育はその矛盾が鮮烈に争われる戦場であり続けている.1920年代の反進化論州法とスコープス裁判は,しばしば「無知な原理主義」対「啓蒙された近代科学」という構図で語られてきたが,アメリカの文化的・宗教的闘争には,資本主義的プラグマティズムが当初から深く絡み合っていた.

 創造論者たちの運動が,法制度・メディア・民主主義的プロセスを巧みに利用するしたたかな制度運動であるというテーゼは,この歴史認識を土台として初めて説得力を持つ.具体的には,創造大学院取り潰し事件(第2章)ヴィスタ教育委員会乗っ取り事件(第4章)は,草の根の原理主義者たちが公教育のカリキュラムを内側から変容させていくプロセスでもある.リベラルな社会は,自らの価値観を根底から否定しようとする非リベラルな勢力に対しても寛容であり続けねばならないのだろうか.このパラドックスは,創造論からインテリジェント・デザイン(ID)への戦略的転換をめぐって深まる.

 サンフランシスコ州立大学教授ディーン・ケニヨン(Dean Kenyon)を介して描かれる転換は,宗教的な「創造」という語を回避し,より科学的な外観を持つ「知的設計」という概念を前景化することで政教分離の壁をすり抜けようとする.だがその企図は皮肉な形で露呈した.ID論の副読本『パンダと人間』の草稿において,1987年の最高裁判決後に"creationists"を"design proponents"へと機械的に置換した際のミスが,"cdesign proponentsists"という無意味な造語を文書内に残してしまった.後の裁判――キッツミラー対ドーバー学区裁判――でこの言語的痕跡が決定的証拠となり,IDが創造論の衣替えに過ぎないことが証明された.

 本書の射程は,カリフォルニアという限定された舞台を超え,ローカルな事例から全米的な動態に及ぶ.あえて限界を指摘するならば,議論の焦点がエリート層の法廷闘争と活動家の政治戦術に偏るため,ごく普通の信者たちが進化論を実存的な脅威として受け取る内的論理――神学的・心理的な次元――の描写が相対的に希薄になっている点だろうか.制度的闘争の解剖には成功しているが,その闘争を駆動する主体の内面には,いま一歩踏み込む余地があったように思われる.それでも,無信仰を含むあらゆる信仰の生徒を受け入れられる公共空間を,いかに構築しうるかという問題意識は,出版から年月を経た現在においても少しも古びていない.

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原題: 進化論を拒む人々―現代カリフォルニアの創造論運動

著者: 鵜浦裕

ISBN: 4326652195

© 1998 勁草書房