■「野いちご」イングマール・ベルイマン

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 78歳の孤独な医師イーサク・ボルイ.妻は亡くなり,子供は独立して,今は家政婦と二人きりの日々を送っている.ある夜,イーサクは奇妙な夢を見る.人影のない街,針のない時計.彼の前で止まった霊柩車.中の棺には彼そっくりの老人がいて,手をつかんで引きずり込もうとする.夢から醒めたイーサクは,車に乗り込み,名誉博士号の授与式に向かうが,その先々で待つのは,奇妙で不可思議な出来事の数々だった….

 境の知識人が辿る後悔と孤独に満ちた自己探求である.名誉学位授与式へ向かう一日という時間枠のなかで,医学名誉教授イサクが経験する出来事は,人生の冬に立つ者の決算となる.原題"SMULTRONSTÄLLET"は,直訳すれば「野いちごの生える場所」となるが,スウェーデン語の慣用において「特別な隠れ家」を意味する.映画序盤,イサクが訪れる別荘の庭は,初恋の従妹サーラが兄弟と口づけを交わす光景を目撃してしまった喪失の現場である.

 イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman)はこのタイトルに「最も美しく,ゆえに最も残酷な原風景」という二重性を仮託し,甘美なノスタルジーと現実のあいだに開いた痛みを示している.映画は不吉な悪夢で幕を開ける.無人の街路,針のない時計,顔を持たぬ男,自らの死体を収めた霊柩馬車――針のない時計は死の暗示にとどまらず,イサクが傲慢のなかで精神的な成長を止め,生の時間を内側から喪失してきた事実への痛烈な批判であろう.

 イサクを演じたヴィクトル・シェーストレム(Victor Sjöström)は,スウェーデン無声映画の黄金期を築いた名匠で,ベルイマンが終生畏敬してやまなかった先達である.冒頭の霊柩馬車はシェーストレムの代表作「霊柩馬車」(1921)へのオマージュと思われ,ベルイマンは敬愛する先達のモチーフを意図的に反復している.撮影当時77歳のシェーストレムがカメラの前で見せる老いの疲労と死期を悟ったかのような眼差しは,映画に重厚感を与えている.

 ビビ・アンデショーン(Bibi Andersson)演じる「二人のサーラ」――記憶のなかの初恋の従妹,道中のヒッチハイカーである若者――,同一の顔から向けられる拒絶と受容によって,イサクの失われた青春への静謐な補完をなす.この映画は,絶望のうちには終わらず,過ちを引き受け他者へひそやかに歩み寄ろうとする,ささやかな尊厳を静かに肯定する.精緻な精神分析の迷路を抜けて,一人の老人がようやく自分自身と和解するまでの記録である.

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原題: SMULTRONSTÄLLET

監督: イングマール・ベルイマン

91分/スウェーデン/1957年

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