| 二十世紀最大の法哲学者・政治哲学者ジョン・ロールズの最晩年の主著.『正義論』で打ち出した「公正としての正義」の構想を世界規模に広げ,平和と正義に満ちた「万国民衆の社会」はいかにして実現可能かを追究.正義の戦争は正当化できるか,恵まれた社会はどこまで他国を援助できるか.「公共的理性の観念・再考」併載――. |
名著『正義論』で「公正としての正義」を説いたジョン・ロールズ(John Bordley Rawls)は,晩年において理論を地球規模(国際社会)へと拡張した.自らの理論を現実主義的ユートピア(Realistic Utopia)と呼び,国際政治の厳しい現実と,人間の道徳的な可能性をいかに結びつけるかという問いに挑んだ.本書で,ロールズは国際社会の正義原理を導くため,かの思考実験「無知のヴェール」を二段階で適用する.第一段階では,自由民主主義(リベラル)な諸国の代表が自国の有利な条件を知らない状態で国際協力のルールを選択する.第二段階では,リベラルではないが一定の道義を備えた良識ある階層社会の代表が加わり,同一のルールへの合意を求められる.二段階構造によって,ロールズは国際秩序をより多様な政治体制を包摂する「万民の社会」として構想した.
最も論争的な問いは,民主主義を採用しない国家を国際社会の正当な成員として認めるべきか否かである.ロールズの答えは,条件付きの肯定であった.【1】他国を侵略しないこと,【2】生命・安全・財産・形式的平等といった基本的人権を保障すること,【3】誠実な協議制度を通じて国民の意見を政治に反映させること――三条件を満たす社会は「良識ある社会」として尊重に値するが,あらゆる個人に平等な自由を要求するコスモポリタニズム――ピーター・シンガー,トーマス・ポッゲら――から見れば,重大な譲歩に映った.すべての国家にリベラリズムを強制すれば,別様の帝国主義に堕しかねない.文化的多様性を抑圧し,かえって国際的対立と不正義を深化させる危険を冷静に見据えた上で,ロールズは戦略的寛容の立場をとっている.
理想論を提示した後,ロールズは理想が崩れた現実への処方として非理想的理論を展開する.他国を侵略する無法国家に対しては,自己防衛のための戦争が正当化される.しかしロールズが強調するのは,正義の側の戦争であっても,戦い方には厳格な倫理が必要という側面である.1945年のドレスデン爆撃,広島・長崎への原爆投下を,非戦闘員を直接標的とした点において明確に非難した.正戦論への眼差しは鋭く,戦争の目的が正しくとも,手段の正義は別途問われなければならない.また,歴史的経緯や制度的欠陥ゆえに自立できない困窮した社会に対して,国際社会は援助の義務を負うとされる.ロールズが求めるのは,当該社会が自律した政治体制を確立するまでの支援――いわば切断点を持つ援助――に限定される.
ロールズにとって問題は分配的正義ではなく,政治的自律の条件整備なのである.コスモポリタンは言う――リベラルではない「良識ある社会」を認めることは,個人の権利よりも国家の主権を優先する保守的妥協であると.逆にコミュニタリアンは言う――二段階の無知のヴェールという手続き自体が,すでにリベラルな価値観を密輸入していると.ロールズは両側から挟撃を受けたが,理想を放棄することなく,理想の強制も拒む緊張の中間に立ち続けた.これを理論的中途半端と断ずるのは容易い.しかし,そもそも正義の哲学とは,割り切れない現実と理想のあいだで倫理的に踏みとどまることではなかったか.ロールズが最晩年に到達したのは,理想と現実のあいだで絶え間なく交渉を続ける宥和(ゆうわ)――妥協を恐れず,原則を失わない,知的誠実の在り方であった.
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Title: THE LAW OF PEOPLES - WITH "THE IDEA OF PUBLIC REASON REVISITED"
Author: John Rawls
ISBN: 4000244337
© 2006 岩波書店
