▼『絵本戦争』堂本かおる

絵本戦争 禁書されるアメリカの未来

 黒人,LGBTQ,女性,障害,ラティーノ/ヒスパニック,アジア系,イスラム教徒,アメリカ先住民……8つのトピックにわけて,禁書運動の犠牲となった数々の絵本のひとつひとつを見ていくことで,マイノリティの苦難の歴史と,その中で力強く生きる姿,そして日本でも深刻化している政治的な対立<文化戦争>の最前線を知る.トランプの大統領再選が決まったいま,必読の一冊――.

 本の読者は,本書を「アメリカ固有の教育問題」として距離を置くかもしれない.しかし,誰が国家の物語を語る権利を持つのかをめぐる文化的な覇権争いは,いかなる民主主義社会にも潜在する.子供向けの無害な媒体「絵本」が政治的イデオロギーの最前線に立たされる事実こそ,「戦争」の本質の証である.禁書運動を支える論理は,一見すると素朴な親心に見える.白人の子供たちが先祖の過ちを知ることで罪悪感を抱くのは不当,との主張は,子供を守る情緒的なレトリックを纏うことで批判を寄せつけにくくなっている.だが,重大な論理的欺瞞がある.不快感は主観的な感情であり,それを検閲の根拠とするならば,どんな書物も誰かの不快感を口実に排除できることになる.

 教育とは本来,事実の直視と他者の経験への想像力の涵養にある.禁書運動はその前提を逆転させ,歴史教育を政治的洗脳とする戦略を採用している.2019年の「1619プロジェクト」――アメリカの実質的な建国を1776年(独立宣言)から,最初の奴隷が到着した1619年に置き直す試み――に対するトランプ政権の「1776委員会」による対抗は,この構図を示している.争われているのは歴史の解釈よりも,歴史を語る権力それ自体なのだ.LGBTQ関連の絵本をめぐる攻撃対象は,動物を主人公にした作品にも及ぶ.実在する同性カップルのペンギンをモデルにした『タンタンタンゴはパパふたり』は,「不自然さ」を理由に排除された.擬人化された動物の物語が禁書となるならば,問題は子供への悪影響だけではない.その存在が認められることへの根本的な拒絶であろう.

 フロリダ州「Don't Say Gay」法に代表される立法措置は,拒絶を制度として結晶化させたものである.法が図書館の棚から多様な家族の物語を物理的に消し去るならば,保護者の選択権の問題ではなくなり,国家による物語の独占という問題へと質的に転換する.マイノリティの子供が自分の姿を映す物語を持てないとき,その子供は「自分の経験は語られる価値がない」というメッセージを内面化する.一方,マジョリティの子供が他者の経験への窓を持てないとき,共感の回路そのものが閉じられる.禁書は,次世代の想像力の地図を書き換えるのだ.「マムズ・フォー・リバティ」に代表される禁書推進団体は,表向きは教育に関心を持つ保護者の自発的な集まりに見える.しかし実態は,政治資金と組織的な戦略に支えられたロビー活動の精巧な偽装である.

 親が子を守りたいという動機を攻撃することは道徳的に困難だろう.しかし本書が明らかにするのは,親心のレトリックが,図書館員に刑事罰を示唆するテキサス州の立法,企業への政治的報復――LGBTQの権利を支持したディズニーに対する政治的措置――という強権的手段と連動していることである.ハインリヒ・ハイネ(Heinrich Heine)「本を焼く者は,やがて人間も焼く」という言葉を,著者は感傷的に引用しているわけではない.禁書が「不寛容の初期症状」であるという冷静な観察表現である.草の根の装いをまとった上からの文化統制,これが禁書運動の実態である.争われているのは「誰の現実が現実として認められるか」というアイデンティティであって,特定の書物の是非ではない.絵本戦争の真の敗者は,世界の複雑さを学ぶ機会を奪われたまま育つ,すべての子供たちである.

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原題: 絵本戦争―禁書されるアメリカの未来

著者: 堂本かおる

ISBN: 4778340116

© 2025 太田出版