▼『結核の文化史』福田眞人

結核の文化史―近代日本における病のイメージ―

 明治維新以降1千万人以上の犠牲者を出すという苛酷な現実の一方で,『不如歸』に代表される小説等に描かれ,「上流」「天才」「美人」といった甘美なイメージを喚起した結核という独特な病の,近代日本における文化的位相を,史資料の博捜によって描き出した力作――.

 治維新から高度経済成長期まで日本人の死因首位を独占した結核は,まさに国民病というべき病だった.本書は,結核が近代日本の精神構造にいかなる影を落とし,いかに甘美な物語として加工され,時に残酷な偽装を施されてきたかを描き出す論考である.結核は人を徐々に蒼白にし,時には年単位の時間をかけて生の輪郭を削り取っていく.「緩慢な死」は当事者にとって絶望的な恐怖であったが,同時に外部の視線には無数の解釈と物語化の余地を与えた.

 近代日本において,喀血や痩身といった身体的崩壊がしばしば美や純粋さと接木された背景には,執行猶予にも似た時間的空隙があった.「悲劇」を別の方向へと大胆に変形させたのが文学領域だった.本来,結核は貧困と劣悪な衛生環境に根ざした「社会病」としての側面が強かったにもかかわらず,大衆小説はそれを高貴で繊細なヒロインの逃れられぬ宿命へと置換した.徳冨蘆花『不如歸』のモデル――元帥陸軍大将大山巌の娘・信子――が実際に逗子のサナトリウムで孤独な死を遂げ,ロマン化の流行によって,当時の女学生たちは「青白さ」「吐血」を一種のファッション,あるいは内面的な高尚さとみて憧憬したという.

 ロマン化の欺瞞を,自身の肉体をもって内部から批判したのが正岡子規である.子規は喀血する自己を「鳴いて血を吐くホトトギス」という古典的な比喩に重ね合せつつ,最晩年の散文日記『仰臥漫録』において結核の真実を徹底して非詩的に描いた.そこに記録されているのは絶え間ない激痛,垂れ流される排泄物,死を前にしてもなお衰えぬ異様なまでの食欲――記述に,死の美化や諦念の陶酔は微塵もない.結核とは,壊れゆく肉体が「生きている」ことを異様なまでに自己主張し始める生々しい戦闘状態であるという逆説によって,子規は「病」を物語から剥ぎ取り,剥き出しの「肉体」へと連れ戻した.

 現在,結核は「過去の病」というラベリングをされ,歴史の彼方へ押しやられようとしている.しかし世界規模で見れば,依然として年間100万人以上の命を奪い続ける脅威であり,多剤耐性菌の出現という新たな局面を迎えている.結核という病の文化史を通して理解されるべきは,近代化の歪みから生じた犠牲を「美しさ」「運命」という甘美な言葉で包み込もうとした日本近代の,自己欺瞞の軌跡である.

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原題: 結核の文化史―近代日本における病のイメージ

著者: 福田眞人

ISBN: 4815802467

© 1995 名古屋大学出版会