| 学歴,仕事,家庭.自分の能力で全てを手にいれ,自分は人生の勝ち組だと信じて疑っていなかった良多.ある日病院からの連絡で,6年間育てた息子は病院内で取り違えられた他人の夫婦の子供だったことが判明する.血か,愛した時間か――突き付けられる究極の選択を迫られる二つの家族…. |
民法第820条は,「子の監護及び教育」を親権者の権利かつ義務として規定するが,2011年の改正によって「子の利益のために」という目的規定が明文化された.子の身上監護権が親の私的権限に帰属しつつも,その行使は子の福祉という公的価値に従属することを,立法が初めて宣言したのである.しかしながら,現実の親子関係においては,権利が義務を圧倒する.親が他者の干渉を排除して子を「自らの保護下に置く」ことを,強く内在化するからだ.2組の家庭の男児が,出生時の病院における「取違え事故」の被害者であったことが判明する.DNA鑑定が血縁という絶対的な自明性を根底から覆す瞬間,両家の両親には二択が突きつけられる.子どもたちを「再交換」し,血縁という生物学的秩序を回復するか.それとも,これまで積み上げてきた養育関係の継続性を優先するか.
子どもの人格形成における「一貫性と連続性」の重要性は,発達心理学が繰り返し強調してきた原則である.愛着理論の観点からすれば,就学前という感受性の高い時期に養育環境が断絶されることは,アイデンティティの形成に深刻な亀裂をもたらしかねない.脚本の素材は,1971年に沖縄で実際に起きた取違え事故に依拠していると推察される.本作の意図的な演出装置は,二家庭の間に設定された,露骨なまでの階級的・文化的非対称性である.野々宮家の父・良多は,東京都心の再開発を手がける富裕なデベロッパー.対する斎木家の父・雄大は,前橋の片隅で零細電器店を営む.環境の落差は子どもたちの戸惑いを増幅させ,異常な緊張を強いる.この対比を,ディテールの積み重ねによって構築する.
インテリアの質感,食卓の風景,父親の時間の使い方,声のかけ方――微細な描写の連鎖は,2つの世界の文化資本の差を可視化する.対比戦略が「過剰」に傾く瞬間もある.図式の明快さが映画的余白を狭め,観客が自ら意味を発見する機会を奪ってしまう局面も否定できない.本作が役者の佇まいに大きく依存する映画であることは,製作者も十分に認識していたはずだ.その前提において,リリー・フランキー演じる斎木家の父の存在感は,作品全体を支える圧倒的な柱となっている.経済力も教養もないが,子どもたちへ愛情を惜しみなく,自然に注ぐ佇まいは,演技であることを忘れさせる.妻役の真木よう子は,アンニュイな色気が時にキャラクターの輪郭を曖昧にするが,それ自体が一種の現実感でもある.対照的に,野々宮家の父を演じた福山雅治には,役の核心部分で説得力が不足している.
血縁否定の瞬間,心の中でわが子を切り捨てたことを示すある言葉――妻・みどりが鋭く拾い上げ,長く胸に刻む言葉――の重みを,福山の演技は十分に体現できていない.「ミッションは終わり」と慶多を抱きしめ,父性へと覚醒していく内的変容の過程もまた,表面的な処理に留まっている.能力のない子を蔑む役を演じながら,共演者との才能の格差をここまで可視化されるのは残酷な皮肉,それは同時に,本作が「役者の実力を隠さない」という誠実さでもある.本作は第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され,審査委員長スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)をはじめ,審査員の多くから感涙を引き出した.スピルバーグはフランキーの演技に強く惹かれ,「彼は有名な俳優なのか」と周りに問い合わせたという.
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原題: そして父になる
監督: 是枝裕和
120分/日本/2013年
© 2013『そして父になる』製作委員会
