| なぜ「数字は正しい」のか.なぜ数字になると信頼するのだろう.数値にした瞬間に一人歩きするものは世に多い.GNP,PISA,放射線量.どうして星や分子や細胞の研究で成功した数値化という方法が,社会の事象をあつかうにも妥当と認められるようになったのか.ギリスピーとクーンに学んだ科学史家が,19-20世紀イギリスの保険数理士,フランスの技術官僚,アメリカ陸軍技術団の史実に即して徹底追求.ひるがえって自然科学にとっての数値化の意味を照射する――. |
ケルビン卿(Lord Kelvin)に代表される自然哲学者たちは,測定値を画一的な規則で公表することに慎重であった.彼らにとって真理は長年の修練から生まれる専門家的判断に宿るもので,機械的な数値計算への還元は知性の喪失を意味したからである.一方,社会科学・行政・公共政策の領域では,専門家の判断は常に外部の疑念にさらされる.個人の裁量が政治的攻撃の標的となる環境で正当性を守るために生まれたのが,本書の扱う機械的客観性(Mechanical Objectivity)である.
誰が計算しても同じ結果――ルールへの従順さ――を示すことで,意思決定者は個人的責任を回避し,批判を数式で跳ね返すことが可能となる.数字は世界を認識する道具である以上に,組織を守る防衛テクノロジーとして発展してきた.これがコスト便益分析(CBA)の出自である.洗練された経済理論から生まれたという通説は神話に過ぎず,その実態は1930〜50年代の米国陸軍工兵隊の政治闘争において,公共事業をめぐる干渉を排し予算を確保するため主観を排した「仮面」が必要だったと考えられている.
対照的に,フランスの国立土木学校のエリート技師たちは長らく機械的計算を「魂のない計算」と蔑んでいたが,民主主義的圧力が高まると彼らもまた数値化の体系へ逃げ込まざるを得なくなった.フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)が戦場の惨状を訴えるのに統計グラフを多用したのも,数字が官僚や政治家を動かす最強のレトリックであると知っていたからだ.本書は,客観性を「信頼の欠如を補う補装具」と断じる.データとは中立ではなく,目的のために磨かれた説得の道具である.
現場の熟練知や文脈依存的な判断が排除されて専門性が空洞化し,「データがそう示している」という言説が意思決定者の倫理的責任を覆い隠す盾となる.人間への不信が数字を求め,数値化が裁量を剥奪し,さらなる監視を招くという不信の悪循環――社会が互いを信頼する能力を失ったとき,欠落を埋めるために客観的数値という杖が求められる.この杖を否定することは誰にもできない.しかし,なぜそれが必要になったのか,なぜ社会から信頼が失われたのかを問わなければ,数字の支配という迷宮の根本に触れることは永遠にかなわない.
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Title: TRUST IN NUMBERS - THE PURSUIT OF OBJECTIVITY IN SCIENCE AND PUBLIC LIFE
Author: Theodore M. Porter
ISBN: 4622077817
© 2013 みすず書房
