■「4分間のピアニスト」クリス・クラウス

4分間のピアニスト [Blu-ray]

 ピアノ教師として刑務所にやってきたクリューガーは,問題児とされている少女・ジェニーの類まれなるピアノの才能を見抜き,それを開花されることこそが,残り少ない自分の人生の使命だと考え,所長を説得して特別レッスンをはじめる.その日から,全く違う世界に生きていた2つの魂のぶつかり合いが始まった.全てのものに牙をむき,自らを傷つけようとするジェニーだったが,自分と同じ孤独を抱えるクリューガーの情熱にいつしか心を開いて行く….

 格と無縁の才能など存在しない.だが天賦の才に恵まれた者が聖人君子である必要もない.芸術家と破滅型の人生は一対となって,われわれを感嘆させ,さらには慨嘆もさせる.超人的なピアノ演奏の才能を自ら打ち棄てようとする少女と,それだけは絶対に阻止しようとする老ピアノ教師が烈しく衝突し,互いの領域を侵す.しかしながら,両者の邂逅に純然たる感動を得ようとすると,拍子抜けすることになる.首吊り自殺をした同室の受刑者のポケットを憮然とまさぐり,ふてぶてしく煙を吐き出すジェニーをとらえる場面から,映画は幕を開ける.

 老練なピアノ教師クリューガーを演じるのは,モニカ・ブライブトロイ(Monica Bleibtreu).老年メイクのためにラテックス製の特殊老化マスクと分厚い眼鏡を装着して役に臨んだ.その佇まいは老年のマルグリット・デュラス(Marguerite Duras)を彷彿とさせ,礼節の流儀には一切の妥協を許さない.クリューガーは,同性愛関係に陥った共産主義の少女を,ナチ政権下で絞首刑にされ失ったという過去を抱えている.「才能を持ちえた者には,その才能を磨く義務がある」――毅然とした才能をめぐる問いかけ,さらには身近な他者の縊死という奇妙な符合によって,2人は魂をぶつけ合う.

 天才は,傑出した才能で社会をどよめかせ,屈服させ,沈黙させる.オペラ座での新人コンクール出場を強制的に迫る中,クリューガーはジェニーの才能にかつての自分と恋人の影を重ね合わせる.ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler)の愛弟子という設定を生かせば,この投影の純度をいっそう高めるはずだった.だが物語は収斂の直前で,重要な説明因子を欠いたまま走り出す.ジェニーの最後のパフォーマンスはロベルト・シューマン(Robert Schumann)《イ短調協奏曲》を下敷きとしながらも,クラシックの様式的枠組みを大きく踏み越え,プログレッシヴ・ロックに近い域へと逸脱する.

 クラシックの本流以外で生きたことのないクリューガーが,ジェニーの渾身の音色に説き伏せられ,諦念とともに自失の境地に至る.その転換には,本来ならばジェニーが「型を破った」のではなく,クリューガーの美学そのものを揺さぶったというドラマ的積み重ねが必要である.観客がそこに至るための内的準備は,最後まで十分には整えられない.壇上のインパクトは,奇を衒った技巧といった印象は拭えない.ピグマリオン神話の現代的変奏として読むならば筋は通る.これをカタルシスと評価できるか否かは,最終的に鑑賞者が「4分間」の逸脱に,説明なき飛躍を受容する覚悟があるかどうかにかかっている.

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原題: VIER MINUTEN

監督: クリス・クラウス

115分/ドイツ/2006年

© 2006 KORDES & KORDES FILM GMBH / SWR / BR / ARTE