▼「ブライトンの怪物」ジェラルド・カーシュ

壜の中の手記 (角川文庫 カ 13-1)

 1745年の英国に現れた謎の「怪物」の正体は,原爆で時空を飛ばされた全身刺青の日本人力士だった.未知への無理解が生む差別と核兵器の悲劇を,擬似記録形式で描く――.

 可解な海獣譚と思わせ,深層において「他者への無理解」「核兵器の悲劇」を結合させたSFの傑作.物語は,1745年にイギリスのブライトン沖で捕獲された"謎の怪物"に関する古いパンフレットの記述から始まる.極彩色の模様――鳥や蛇の意匠――を持ち,理解不能な言語を叫び,常人離れした腕力を持つその存在は,1947年の視点から遡って初めてその正体が明かされる.1945年8月,広島での原爆投下に遭遇し,時空の彼方へ弾き飛ばされた日本人力士(レスラー)サトウであった.ジェラルド・カーシュ(Gerald Kersh)が選んだ時代設定の絶妙さである.

 ヨーロッパに「タトゥー(刺青)」概念と呼称が広く持ち込まれたのは,ジェームズ・クック(James Cook)の太平洋探検(1768年)以降のことである.すなわち1745年のイギリスの漁師や知識人には,精緻な「和彫り」を文化的装飾として認識するための概念も語彙も,そもそも存在しなかった.未知の音声(日本語)と解釈不能な視覚情報(全身の刺青)が結びついたとき,人間の認識力はそれを「極彩色の鱗を持つ怪獣」へと誤謬させる.観察者の知識や語彙が決定的に欠如しているとき,未知の他者はただの怪物へと貶められる残酷な認識論的メカニズムを,歴史の空白を突くことで鮮やかに証明してみせた.

 本作が広島への原爆投下からわずか3年後の1948年に発表された事実は,その批評的射程を決定づける.当時の西側諸国において,原爆はしばしば戦争を終結させた科学の勝利として語られた.しかしカーシュは核兵器の破壊力を,時空すら引き裂き,人間を歴史の因果律の彼方へ放逐する異次元的暴力として描いた.爆発から奇跡的に生き延びながらも,言葉の通じない過去の異国で見世物として扱われ,被爆症状を発症させ海への投身を選ぶ絶望――ここに至って物語は鮮やかに反転する.真の「怪物」とは海から来た哀れな異邦人ではなく,彼を時空の彼方へ吹き飛ばした人類の兵器へとすり替わる.その転倒は静かに,しかし抗いがたい帰結として読者を打ちのめす.

 反日感情が色濃く残る戦後のイギリスにおいて,数年前まで熾烈な戦闘を繰り広げていた敵国人を絶対的な悲劇の被害者として描き,読者の同情を引き出す物語を構築したカーシュの知的誠実さは,当時としてはきわめて特殊だった.SFのガジェット(時間跳躍),ホラー的意匠(異形のもの),歴史文学(戦争の爪痕)の境界を融解させ,反戦と他者理解の不可能性を叩きつける,特異点のような作品である.18世紀のパンフレットという擬似ルポルタージュ形式を採用したことで,読者は前半において「無知なる観察者」の視点を強制される.後半で明かされる真実はそれゆえに,他者への暴力として読者自身へ跳ね返ってくる.

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Title: THE BRIGHTON MONSTER

Author: Gerald Kersh

ISBN: 4042961010

© 2006 KADOKAWA