| 天才という呼称すら陳腐なものとする人物が歴史上には存在する.十九世紀,十代にして数学の歴史を書き替えたガロアは,まぎれもなくその一人だ.享年二十.現代数学への道を切り拓く新たな構想を抱えたまま,決闘による謎の死で生涯を閉じる.不滅の業績,過激な政治活動,不遇への焦りと苛立ち,実らなかった恋……革命後の騒乱続くパリを駆け抜けた,年若き数学者が見ていた世界とは.幻の著作の序文を全文掲載――. |
近世数学の開花と高峰には,つねに確かな礎があった.数学の正しさは,「証明」の厳正さによって担保される.実験も実習もなく,ひたすら仮説の検証を試行錯誤する孤独な学問.変人たちが紡いできた業績は,驚嘆すべき連続性の歴史でもある.その中に燦然と輝く足跡を,弱冠20歳のエヴァリスト・ガロア(Évariste Galois)は確かに残していった.論理の明晰さを数学教師は理解できず,工科大学の受験に2度失敗した.修得に2年を要するとされたアドリアン=マリ・ルジャンドル(Adrien-Marie Legendre)『幾何学原論』を2日で読破したのは,15歳のときである.
フランス革命から20年後に生まれ,王政主義者と共和主義者の闘争が絶えない時代を生きたガロアは,5次方程式の解法という当時の最難問に17歳で挑む.早熟という言葉では片付けられない深遠な次元が,「群」の理論と呼ばれるガロア理論を,極めて短期間のうちに育んだ.1829年に高等師範学校へ入学後も,ガロアの思想に介入し得た者はいなかった.本書において目を引くのは,ガロアの論文は「読み手に対するサービス精神が極めて乏しい」という視点.天才は,余人を説得する術を意識的に習得する必要がある.ガロアはその訓練を積む前に死んだ.5次方程式の解に関する論文2本を科学学士院に提出したところ,オーギュスタン=ルイ・コーシー(Augustin Louis Cauchy)は興味を覚えた.
ガロアによる新しい視点は,代数方程式を解くということ自体の捉え方をも一新する.代数方程式を解くとは,べき根などの四則演算では得られない数を順次添加していって,次第に有理的に既知名数の範囲に広げること,そしていずれは有理的に既知な数の中に求める根に収めてしまうことである.つまりガロアによれば〈解く〉とは,知っている数の範囲を〈広げる〉というゲームに他ならない.そして彼はまさに彼の「群」(ガロア群)の定義から,知ってる数の範囲を〈広げる〉とは,対応する群を〈小さく〉していくことに他ならないことを見抜いていた
ニールス・アーベル(Niels Henrik Abel)と同じ結論――加減乗除と根号による方程式の解には限界があるという認識――に至っていたガロアだが,アーベルの存在自体を知らなかった.それどころか,ガロアの理論はさらに先へ進んでいた.しかし当時の学界がその水準に適切な判定を下すことは不可能であり,精度を高め再提出した論文は,審査員であったジョゼフ・フーリエ(Joseph Fourier)の急死により失われてしまう.その不幸は,ガロア個人にとっても学問にとっても,あまりに大きかった.数学との邂逅がもたらしたエクスタシーと,現実世界への軽蔑,そして功名心.それらが同時にガロアを取り巻いていた.加えて,青年期特有の反体制思想に傾倒し,恋愛の煩悶が純粋な学問の探究を妨げた.
死因は,パリ在住の医師の娘をめぐる諍いから突発した決闘であった.数学的才能の非凡さと比べ,生涯はなんと陳腐な帰結だっただろうか.アーベルやシュリニヴァーサ・ラマヌジャン(Srinivasa Ramanujan)と異なり,ガロアは尊ぶべき師や共同研究者と出会うことがなかった.誰が彼を導き得たか,という問いはつねに尾を引く.完成された学問体系を,個人の能力だけが担い得ることはない.ガロアの「黙示録」が未完のまま終わったことを悔やみつつ讃えること――それが真摯な数学徒に求められる態度ではないだろうか.当時の社会情勢と数学史の交点に立つガロアの数学観へ迫ろうとするとき,不遇であると同時に不滅のこの数学者が,まさにレ・ミゼラブルな存在であったという感慨が,読後も静かに残り続ける.
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原題: ガロア―天才数学者の生涯
著者: 加藤文元
ISBN: 9784121020857
© 2010 中央公論新社
