| ハリウッド女優として人気絶頂の中,モナコ大公レーニエ3世と恋におち,彼のために華々しいキャリアのすべてを捨て,26歳の若さで女優を引退し,本物の「プリンセス」となったグレース・ケリー.彼女の人生は,現代のおとぎ話として,今もなお語り継がれているが,そこには知られざる,妻として母として,そしてプリンセスとしての苦悩があった…. |
メディアが貼り付けた「氷の女王」という虚像を逆手に取り,自らの人生を一個の芸術作品として演出し続けたグレース・ケリー(Grace Kelly)の静かな闘争の記録である.その執念の原点を辿るには,生家ケリー家の複雑な相貌に目を向けなければならない.父ジョン・B・ケリー(John B. Kelly Sr.)は,オリンピックで3つの金メダルを獲得し,建設業で巨万の富を築いた立志伝中の人物であった.しかし生涯越えられなかった壁があった.アイルランド系カトリックの肉体労働者という出自の刻印であり,いかなる栄光をもってしてもフィラデルフィアのWASP社交界からの冷遇を拭い去ることはできなかった.
グレースが後天的に身につけたミッド・アトランティック・アクセント――アメリカ英語とイギリス英語の上流階級の特徴を融合させた,教養の音声的証明――,寸分の隙もない立ち居振る舞いは,父が果たせなかった階級の突破を,言語と身体をもって遂行するための,精緻な武器であった.女優としてハリウッドの頂点に立つだけでは足りない.「本物の王族」となることではじめて,ケリー家が渇望し続けた絶対的権威は勝ち取られたのである.アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)が「雪に覆われた活火山」と評した銀幕上のキャリアもまた,同じ文脈で読み解くことができる.グレースはMGMという巨大スタジオとの専属契約に幾度となく抗い,停職処分を甘受してでも質の低い脚本を拒絶し続けた.
スタジオシステムという名のもとに若い才能が次々と消費されていった時代,徹底して安売りを拒んだ孤独な抵抗が,わずか5年足らずの映画俳優生活をアカデミー賞受賞という頂点で完結させた.モナコ大公レーニエ3世(Rainier III)との結婚は,政治的・戦略的結合として興味深い.2人の出会いは1955年カンヌ国際映画祭で雑誌「パリ・マッチ」が仕掛けた写真撮影の企画に過ぎなかった.当時のモナコには,公位継承者が途絶えればフランスに併合されるという1918年締結の条約が存在し,グレースは婚約前にモナコ公室から「妊娠可能かどうか」を問う医学的検査さえ要求されている.自らの稼ぎで200万ドルの持参金を支払った事実も加えれば,結婚の構造は明確である.モナコは国家の存続と世界的PRを,グレースはハリウッドという虚構から名誉ある撤退および究極の地位を,互いに提供し合ったのだ.
彼女は自らの価値を正確に理解し,国家を相手に対等な取引を行った稀有なスターであった.だが宮殿の内側に待ち受けていたのは,新たな「黄金の鳥籠」.厳格な階級秩序という不可視の格子が,グレースをふたたび囲い込んだ.ヒッチコックから届いた主演オファーはモナコ国民の激しい反発により辞退を余儀なくされ,「女優グレース・ケリー」その後,完全に封印される.しかし彼女は諦観に沈まなかった.芸術基金の創設,赤十字への献身,社会的弱者への庇護――それらを通じて,モナコという小国を文化的・外交的に独立した存在へとデザインし直す.悲劇的な死の瞬間まで「完璧な公妃」という役柄を演じ切ったその姿は,痛ましいほどの孤独と同時に,誰にも自分の人生の主導権を渡さなかった毅然とした意志を感じさせる.
++++++++++++++++++++++++++++++
原題: GRACE KELLY - THE AMERICAN PRINCESS
監督: ジーン・フェルドマン
58分/アメリカ/1987年
© 1987 Wombat Productions
![グレース・ケリー 公妃の生涯 [DVD] グレース・ケリー 公妃の生涯 [DVD]](https://m.media-amazon.com/images/I/51Jd3H73pYL._SL500_.jpg)