▼『自白の心理学』浜田寿美男

自白の心理学 (岩波新書 新赤版 721)

 身に覚えのない犯罪を自白する.そんなことはありうるのだろうか?心理学の立場から冤罪事件に関わってきた著者が,甲山事件,仁保事件など,自白が大きな争点になった事件の取調べ過程を細かに分析し,「自分に不利なうそ」をつくに至る心のメカニズムを検証する――.

 事裁判において,自白の真実性を担保する最後の砦とされてきた「秘密の暴露」.犯人しか知り得ない事実――遺体の姿勢や凶器の細部――を被疑者が語るとき,その自白は疑いようのない信憑性を帯びる.本書が抉り出すのは,その秘密がいかに容易く外部から,とりわけ取調べ官の手によって流入し得るか,という脆弱性である. 記憶には,想起のたびに書き換えられる「再構成的性質」がある.エビングハウスの忘却曲線が示す時間的減衰に加え,取調べという極限の閉鎖空間において,被疑者の想起プロセスには外部情報が気づかぬうちに混入する.

 仮に,捜査官が何気なく漏らした「赤い柄の包丁」という断片があれば,被疑者の脳内で「自分が赤い柄を握った感触」という擬似体験へと変質する.この瞬間,自白は真実の吐露であることをやめ,捜査側が用意したパズルの欠片を被疑者が埋めていく共同制作の話へと堕すのである.本書の意義は,被疑者が「やっていない」という客観的事実を,「やったのかもしれない」という内的確信へと塗り替えていく心理過程,すなわち「内面化された虚偽自白」の解明にある.外界から隔離され,精神的に無力化された被疑者は,取調官を唯一の正解を握る絶対者と見なすようになる.

 汚染された自白の逆説的な点は,それがしばしば真実以上に「真実らしく」見えることだ.生の記憶は,断片的で矛盾を含み,曖昧である一方,誘導された自白は,立証に都合よく整理され,論理的整合性と豊かなディテールを備える.「証拠は揃っている」という偽りの提示,「認めれば楽になる」という甘い救済が差し出されたとき,被疑者は自らの記憶を否定し,取調官の筋書きを合理的な真実として受容する.一種の認知的崩壊,個人の人格が組織の論理に飲み込まれていくプロセスである.

 裁判所が整合性のとれた物語を重用するという司法の体質は,美しすぎる嘘を採択し,無骨で不完全な真実を排除する危険を常に孕む.取調べの可視化が進む現代においても,この病理は解消されない.真の汚染は,録画が始まる前の雑談のなかで,あるいは言語化されない心理的圧迫のなかで,静かに,しかし致命的に進行するからだ.人間は,自ら犯していない罪ですら,あたかも体験したかのように切々と語り得る.「自白は証拠の王様」――かつての金科玉条は今や,扱いを誤れば司法の正義を根底から焼き尽くす.

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原題: 自白の心理学

著者: 浜田寿美男

ISBN: 400430721X

© 2001 岩波書店