▼「弥兵衛奮迅」司馬遼太郎

新選組血風録 新装版 (角川文庫)

 薩摩出身の富山弥兵衛は「二才言葉」を盾に新選組を渡り歩き,粛清を逃れた.言語という知的仮面を操った男は,北越の戦場で剣一本となって散る.組織を超えた「個」の孤独と純粋――.

 末という変革期において「個」がいかに組織の論理に抗い,あるいはそれを擬態として利用したかを描き出す小編.富山弥兵衛の生涯を通じ,言語の壁という主題を掘り下げている.本作の白眉は,弥兵衛が操る言葉の戦略的使い分けにある.他藩の者には暗号に等しい薩摩の「二才言葉」は,新選組という結束を誇る組織において,内実を悟らせない防壁=ステルスとして働いた.

 土方歳三が目撃した,奥州の隊士にも通じる言葉で談笑する姿は,弥兵衛が知性と密偵としての自覚を兼ね備えた存在であることを露出する.組織の支配者である土方は,言語を意図的に制御する男の粛清を決断した.新選組による粛清をすり抜ける場面は近藤・土方の標榜する「誠」という集団的論理から,弥兵衛という「個」の完全離脱である.伊東甲子太郎の派閥を隠れ蓑としつつも,いかなる組織にも安住しない「通過する男」であった.

 流浪の果て,戦場で散る際の弥兵衛が見せる奮迅は,凄惨なまでの純粋さを帯びる.新選組という死の体臭に満ちた組織を通り抜けた者だけが宿す,生への執着を手放した身軽さ,あるいは死に場所を求める静かな狂気.言語という仮面を巧みに使いこなし,組織を渡り歩いた男が,最後には一切の言葉を捨て,ただ一振りの剣として散る.司馬遼太郎は論理と情熱,仮面と素顔という人間存在の多層的な真実を,一個の生の中に凝縮してみせたのである.

++++++++++++++++++++++++++++++

原題: 弥兵衛奮迅

著者: 司馬遼太郎

ISBN: 4041290074

© 2003 KADOKAWA