| 業界ランク第10位の阪神銀行頭取,万俵大介は,都市銀行再編の動きを前にして,上位銀行への吸収合併を阻止するため必死である.長女一子の夫である大蔵省主計局次長を通じ,上位銀行の経営内容を極秘裏に入手,小が大を喰う企みを画策するが,その裏で,阪神特殊鋼の専務である長男鉄平からの融資依頼をなぜか冷たく拒否する.不気味で巨大な権力機構〈銀行〉を徹底的に取材した力作――. |
高度経済成長期において,銀行という制度的聖域を舞台に繰り広げられた,血脈と資本の熾烈な相剋.マクロ経済の非情な論理,ミクロな血族の情念という二つの力学は,支配と排除という同一のメタ原理によって駆動され,娯楽的洞察に満ちている.物語の深層には,1968年の銀行合併法成立と大蔵省主導の金融再編,戦後日本経済の輪郭を決定づけた歴史的文脈が横たわる.万俵大介が企図する「小が大を食う」合併は,生存をかけた無謀な博打に見えたが,経営資源と政治的コネクションを極限までレバレッジとして活用し,上位銀行を飲み込もうとするマキャベリズムの極致.資本主義における弱肉強食の法則を,知略と権謀術数によって逆転させるダイナミズムにおいて,銀行という「公共の器」は,一個人の野望や一族の永続という私欲のために徹底的に私物化されていく.当時の政財界の実力者をモデルとした大蔵大臣との密約,情報の非対称性を利用した工作のプロセスは,戦後日本の構造的腐敗の深淵を鋭く射抜く.
経済構造が内包する暴力性は,志摩観光ホテルの静謐な庭園に君臨する巨大な緋鯉「将軍」に凝縮されている.大介の手拍子一つで盲目的に寄ってくる鯉は,支配秩序に組み込まれた人間たちの残酷な隠喩である.長男・鉄平だけはこの手拍子に従うことを拒絶した.鉄平は,技術者としての理想を追求し,泥臭い「火」を操る産業資本の体現者であった.対する大介は,数字と金利によって世界を統御しようとする冷徹な「金」の化身,すなわち金融資本の権化である.父子の対立は,エディプス的な葛藤の枠を超え,実業と虚業,あるいは現場の情熱と資本の論理という,日本経済が抱える根源的な二面性の象徴へと敷衍されていく.鉄平の悲劇的な自裁は,自身の出生をめぐる疑惑――実父の子ではなく,カリスマ的指導者であった祖父・敬介の子ではないかという「血の呪縛」――に,高炉爆発という事業上の失敗が重なった果ての帰結であった.シュンペーター的な「創造的破壊」を地で行こうとした鉄平の熱き試みは,銀行組織が内包する保身,金融資本の冷笑的な合理性の前にあえなく潰えたのである.
真の戦慄は,鉄平の死さえもが,大介にとって合併を有利に進めるための「最後のカード」として消費された点にある.父は息子を息子として拒絶したのではない.自身の構築した支配秩序を攪乱し,あるいは自身の劣等感を刺激する「異物」として排除したのだ.血縁という最も濃密なはずの人間関係は,資本の論理の前に完全なる無力さを露呈する.万俵家の内部で蠢く歪みの中心点には,家庭教師兼愛人である高須相子が存在する.彼女が担うのは,万俵家の子女を政財界の有力者と結びつける閨閥という名の戦略である.子女たちの純粋な恋慕を断ち切り,家益の最大化のために政略結婚へと追い込んでいく相子のタクトは,個人の尊厳と家の繁栄というトレードオフの非情を描き出す.相子のモデルには,当時の関西財界で暗躍した実在の女性たちの影が色濃く投影されているが,男性中心の硬直した権力構造の中でしか生存の道を見出せなかった時代の犠牲者であるという悲哀を湛え,家父長制がもたらすジェンダー化された権力の病理を映し出している.
物語の終幕,新銀行「東洋銀行」の発足パーティの華やかさの裏側で,大介自身がさらなる上位銀行による再編のターゲットにされている不穏な予兆が示される.「食う者」もまた,より巨大なシステムにとっては「食われる者」に過ぎない.「銀行は晴れた日に傘を貸し,雨の日に取り上げる」――有名な格言を自らの血族に対してすら実行した大介の勝利は,資本の自己増殖的で終わりなき連鎖の中では,一瞬の虚妄に過ぎなかった.鉄平が命を懸けて灯し続けようとした高炉の「火」を吹き消し,無機質な「金」の帝国を選んだ大介の手元に残ったのは,文字通り血も通わぬ荒野であった.本作の文学的達成は,エディプス的な父子葛藤という古典的なモチーフと,コーポレート・ガバナンスにおける権力闘争という近代的な主題を,有機的な物語の中に統合した点にある.個人の内面的な地獄と社会構造の暴力性が,万俵家というミクロコスモスを通じて一体化し,高度経済成長という「繁栄」の舞台裏で進行した人間性の喪失を告発している.そこにあるのは,血脈さえもが資本の論理に包摂され,人間が制度の部品へと還元されていく円環構造の果てに待ち受ける空虚である.
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原題: 華麗なる一族
著者: 山崎豊子
ISBN: 9784101104126, 9784101104133, 9784101104140
© 1980 新潮社


