| ゆたかな経済生活を営み,すぐれた文化を展開し,人間的に魅力ある社会を安定的に維持する.このことを可能にする社会的装置が「社会的共通資本」である.その考え方や役割を,経済学史のなかに位置づけ,農業,都市,医療,教育といった具体的テーマに即して明示する.混迷の現代を切り拓く展望を説く,著者の思索の結晶――. |
制度学派の祖ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen)は,制度を「多くの人々に共通する思考の習慣」と定義した.人間が合理的な存在――新古典派が想定する「快楽と苦痛の計算機」――などではなく,慣習や本能に縛られる生物であることを喝破したのである.ヴェブレンはその毒舌と奇行でも知られていた.名著『有閑階級の理論』では,富裕層の誇示的消費を揶揄したが,ヴェブレン自身はノルウェー移民の子として,当時のアングロサクソン主流派社会を冷徹な余所者(アウトサイダー)の視点で観察し続けた.ヴェブレンにとって経済制度の進化とは,技術的変化に遅れて適応しようとする文化的慣習との間の絶え間ない葛藤のプロセスであった.この動的な制度論こそが,理論経済学の巨星・宇沢弘文が再発見し,現代へと接ぎ木した思想の種子なのである.
宇沢は,ヴェブレン的な制度論を,より具体的かつ強固な社会装置として構想した.それが「社会的共通資本(Social Common Capital)」である.宇沢は,社会を支える不可欠な要素を3つのカテゴリーに分類した.第一に,大気,森林,河川,水,土壌,野生生物といった自然環境――生命維持の基盤であり,世代を超えた共有財である.第二に,道路,上下水道,住居,ガス,交通通信網といった社会的インフラ――経済活動と市民生活を円滑にする物理的骨格である.第三に,司法,金融,教育,医療,福祉,年金といった制度資本――人間の尊厳を守り,社会の質を規定するソフトウェアである.宇沢は,これらを市場でも国家(官僚)でもなく,職業的専門家(受託者責任)によって管理すべきだと説いた.
宇沢の理論的核心は,制度主義を新古典派経済学(市場万能主義)とマルクス主義(国家による計画経済)の一方性を否定し,止揚(アウフヘーベン)に置いている点にある.宇沢が目指したのは,人間の倫理や文化という「制度」を経済の中心に据え直すことであった.経済学を冷たい計算から温かい倫理へと回帰させる大きな試みでもあった.本書が1970年代から90年代の論文で構成されている点は,情報の鮮度に欠けるように思えるかもしれない.しかし,それは大きな誤解である.1974年に発表され,経済学界のみならず社会全体に衝撃を与えた『自動車の社会的費用』において,宇沢は数理経済学の最先端から,公害や都市問題という泥臭い現実へと大きく舵を切った.宇沢は,ベトナム戦争や日本の公害問題を目の当たりにし,抽象的な数理モデルが現実の苦しみを救えないことに深く苦悩した.
「転向」が,社会的共通資本という概念を生んだのである.本書における記述の反復は,論理の揺るぎなさの証明であり,数十年にわたり問い続けた豊かさの正体への執念の結実である.陳腐化どころか,新自由主義が限界を迎えた現代において,預言的な輝きを放っている.本書を批判的に読み解くならば,個別の政策提言の当否を問うだけでは不十分である.宇沢が提示した「民主的過程を経て,最適な経済制度を求める」という社会総体としての構想そのものに,どのような対抗軸をぶつけるかが問われなければならない.専門家による管理(受託者責任)は,時として「テクノクラートによる支配」に変質するリスクを孕まないのか.あるいは,グローバル化が進む中で「一国単位の制度資本」はどこまで有効なのか.思考の枠組みを問い直す論争こそが,宇沢弘文という巨人が残した思考の遺産に対する,最も誠実な応答となるであろう.
++++++++++++++++++++++++++++++
原題: 社会的共通資本
著者: 宇沢弘文
ISBN: 4004306965
© 2000 岩波書店
