▼『テロルの決算』沢木耕太郎

テロルの決算

 ひたすら歩むことでようやく辿り着いた晴れの舞台で,61歳の野党政治家は,生き急ぎ死に急ぎ閃光のように駆け抜けてきた17歳のテロリストと,激しく交錯する.社会党委員長の浅沼稲次郎と右翼の少年山口二矢.1960年,政治の季節に邂逅する二人のその一瞬を描くノンフィクションの金字塔――.

 木耕太郎の実質的な処女作にしてノンフィクション文学の傑作.1960年10月12日,日比谷公会堂という一点に向かって収束する,二つの異質な人生――「演説百姓」「人間機関車」と親しまれた社会党委員長浅沼稲次郎,孤高の殺意を研ぎ澄ませた17歳の山口二矢――の邂逅を,沢木は冷徹かつ抒情的に「必然」という名の論理で編み上げた.浅沼稲次郎という政治家は,その巨躯に似合わず繊細な精神構造を持ち合わせていた.尊敬する無産政党の先達・麻生久の急逝後,二度の精神的混迷を経験した脆さは,庶民的な魅力の裏返しでもあった.

 「人間機関車」という異名のとおり,泥臭く全国を歩き回り,大音量で大衆に訴えかけるその姿は,高度経済成長前夜の日本における"持たざる者"の希望だった.党外との調整にも長けた浅沼は,しかし自身への物理的攻撃に対しては驚くほど無頓着だった.この自衛の欠如が,17歳の殺意を受け入れる余地を作った.刺客となった山口二矢の標的選定は,消去法的かつ幼稚である.「護衛が手薄だから」――プロ暗殺者の論理ではなく,テロルに自己の存在証明を求めた少年の限界であっただろう.しかし彼が抱いた「日本の赤化を防ぐ」というイデオロギーは,冷戦構造下における極右思想の結晶でもあった.戦前の右派的立場から戦後の左派興隆へと転じた浅沼は,山口の目には裏切り者と映っていた.

浅沼稲次郎の,六十一歳の生涯の,その最後に見たものは,少年の,蒼ざめた,必死の顔だった

 批評的には「悪文」と断じうる叙情的な一文は,しかし本書の構成の中で「歴史の歯車が噛み合った瞬間」を見事に語る.加害者と被害者が政治的立場を超えて一対一の「人間」として接触した刹那を,これほど残酷に,かつ美しく切り取った表現はない.毎日新聞の長尾靖が偶然にも撮った写真――日本人初のピュリッツァー賞に輝いた――は,刺された直後の浅沼の虚脱した表情,眼鏡を飛ばしながらも刀を引き抜こうとする山口の躍動を克明に捉えていた.この対比が,事件を「神話」へと昇華させた.浅沼の脇腹を貫いた刃は,本来であれば護衛が阻止すべきものだった.山口が抜いた刀身を握った護衛官が,指を切り落とす覚悟で握りしめなかった事実は,当時の警備体制の甘さと同時に,平和な時代の終わりを露呈させた.

 保守的国粋主義者の間で山口は「憂国の烈士」として神格化されたが,沢木の視点は神格化を剥ぎ取り,一人の孤独な,しかしあまりに強固な意志を持った少年の実像へと肉薄する.当時20代であった沢木が,これほど冷静に両者の人生を等距離で描けたのは,「政治の季節」の終焉を肌で感じていたからだろう.池田勇人が凶刃に斃れた浅沼の追悼演説で「私は誰に向かって論争を挑めばよいのでありましょうか」と述べたように,浅沼の死は戦後日本の「熱い政治」の終焉を告げる弔鐘だった.浅沼がかつて麻生久の死によって精神を病んだように,この事件は日本社会全体に,癒えがたい精神的空洞を残した.

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原題: テロルの決算

著者: 沢木耕太郎

ISBN: 4167209047

© 2008 文藝春秋