■「PERFECT DAYS」ヴィム・ヴェンダース

PERFECT DAYS 通常版【2枚組】 [Blu-ray]

 東京・渋谷でトイレ清掃員として働く平山は,静かに淡々とした日々を生きていた.同じ時間に目覚め,同じように支度をし,同じように働いた.その毎日は同じことの繰り返しに見えるかもしれないが,同じ日は1日としてなく,男は毎日を新しい日として生きていた.その生き方は美しくすらあった.男は木々を愛していた.木々が作る木漏れ日に目を細めた.そんな男の日々に思いがけない出来事がおきる….

 方位がデジタル化され,効率性という正義に塗り潰された現代社会に対する,アナログな「時間」「身体性」の静かな奪還.記号化された日常を「生」の手触りへと引き戻そうとする,極めて緻密に構築された記号論的レジスタンスである.渋谷区内17箇所の公共トイレを刷新する「THE TOKYO TOILET」プロジェクト――安藤忠雄,隈研吾,坂茂ら世界的建築家たちが解釈した公共空間――を,ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)は,清掃夫・平山が日々執り行う「儀式」の場として描き出す.平山の清掃は,疎外された労働であることを止め,工芸(クラフトマンシップ)の領域へと昇華されている.

 役所広司は役作りのため,清掃指導員から数日間に及ぶ徹底的な訓練を受けたという.汚れを落とすという重みのある身体性が担保されているからこそ,本作は空理空論に陥ることなく,労働の尊厳というリアリティを獲得している.ヴェンダースが小津安二郎を敬愛していることは周知の事実だが,主人公に「平山」の名を冠したことは重要な意味を帯びている.小津の遺作「秋刀魚の味」(1962)で笠智衆が演じた淋し気な父役への直接的なオマージュだ.小津の描いた「平山」が,戦後日本の家族解体の中で静かな諦念を受け入れた人物だとすれば,ヴェンダースの「平山」は,社会の周縁ともいえるトイレ清掃業を選び取り,孤独を孤高へと昇華させている.

 カメラが捉えるローアングル(畳の視点)は,小津的な静謐さを継承しつつも,ヴェンダース特有のロードムービー的詩学と融和し,東京という都市に新たな魂を吹き込んでいるように見える.劇中で平山が愛用するカセットテープ,ルー・リード(Lou Reed),パティ・スミス(Patti Smith)は,磁気テープという物理的媒体を介した体験として立ち上がる.本作を孤高で幸福な初老の物語という欺瞞から救い出しているのが,中盤以降に差す「影」の存在だ.妹との再会によって暗示されるのは,平山がかつて属していたであろう富裕な階層からの意図的な転落である.ヴェンダースは平山の過去を饒舌に語らない.代わりに,毎晩彼が見るモノクロームの夢――木漏れ日(Komorebi)の断片――,末期癌の男との「影踏み」遊びを通じて,内面にある欠落を視覚化する.

 影は重なれば濃くなるのか――?この問いは,人生の悲哀を受け入れた上で「今,ここ」を肯定する倫理(エチカ).映画の白眉は,ニーナ・シモン(Nina Simone)《Feeling Good》が流れる中,平山が運転しながら見せる数分間にわたるクローズアップに収斂される.朝日に照らされ,笑っているようにも,泣いているようにも見える役所広司の表情は,映画史に刻まれる円熟の演技.だが,多くの人は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)で見せたロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)の狂気の微笑を自然に連想したはずだ.

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原題: PERFECT DAYS

監督: ヴィム・ヴェンダース

124分/日本=ドイツ/2023年

© 2023 MASTER MIND Ltd.