| 都内の2DKのアパートで大好きな母親と幸せに暮らす4人の兄妹.しかし彼らの父親はみな別々で,学校にも通ったことがなく,3人の妹弟の存在は大家にも知らされていなかった.ある日,母親はわずかな現金と短いメモを残し,兄に妹弟の世話を託して家を出る.この日から,誰にも知られることのない4人の子供たちだけの『漂流生活』が始まる…. |
西巣鴨で実際に起きた実子置き去り事件をモチーフに,「誰にも見られず,記録もされない時間」がいかにして日常として流れていくのかを静かに描き切った作品である.社会問題映画でありながら,声高な主張を行わないという作家性が,最も純度の高い形で結実している.親に捨てられた子どもたちは,自分たちなりの秩序を創り出し,生活を持続させようとする.幼稚に見える母は複雑な人格の持ち主である.衝動的で無責任である一方,子どもたちと笑い,未来を語る瞬間も確かに持つ.
両義性が観客の判断を宙吊りにし,善悪二元論を許さない.現実の悲劇が往々にしてこのような中途半端な感情の集積として成立するという真実を,映画は静かに暴露するのである.長男・明を演じた柳楽優弥の身体は,演技という仕事を忘れさせるほどの迫真性を獲得している.是枝裕和は台本を極力与えず,共同生活的な撮影環境を通じて,子どもたちが役柄と現実の境界を意識しない状態を意図的に作った.撮影は時系列に近い順序で進められ,柳楽の表情や身体には,責任を背負わされていく時間が刻印される.
カンヌでの最優秀男優賞受賞は,日本映画が久しく失っていた「生の時間を映す力」が国際的に認識された結果と解釈すべきであろう.映画において決定的な悲劇の瞬間は,意図的に画面外へ追いやられている.事件の結末に相当する出来事は説明も強調もされず,観客はそれを後から理解するしかない.カメラが見つめるのは,起きたことではなく,起きた後も執拗に続く日常である.その視線があるからこそ,本作は悲劇性を保ちながらも,消費的な感動譚へ堕することがない.タイトル「NOBODY KNOWS」は,事件が社会に知られなかった事実と同時に,子どもたち一人ひとりの内面が最後まで理解されないことを指す.
長男は強く見えるが,何を諦め,何を恐れていたのかは言語化されない.観客が彼を理解したと思う瞬間に,その思い込みは裏切られる.保護されるべき存在が保護されず,それでも生きようとする.その姿を淡々と映し出すことで,是枝は観客に想像力と,その想像を超える現実に向き合う責任を要求する.見終えた後に残るのは涙ではなく,静かな居心地の悪さである.違和感が疼く――その時間が映画を映画として機能させ,今なお語り継がれている.
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原題: NOBODY KNOWS
監督: 是枝裕和
141分/日本/2004年
© 2004 「誰も知らない」製作委員会
