| 30万年近く前にホモ・サピエンスが誕生して以来,人類史の大半で人間の生活水準は生きていくのがぎりぎりだった.それが19世紀以降に突如,平均寿命は2倍以上に延び,1人当たりの所得は地球全体で14倍に急上昇したのはなぜか?この劇的な経済成長の鍵は“人的資本の形成”だったことを前半で説く.それを踏まえて後半では,なぜ経済的な繁栄は世界の一部にとどまり,今なお国家間に深刻な経済格差があるのかを検討する――. |
人類史に横たわる2つの根源的な謎――なぜ人類は長らく貧困に停滞し,なぜ近代以降に急激な成長と同時に深刻な格差を生み出したのか――を,数十万年規模の時間軸で統一的に説明しようとする著作である.著者が提唱する「統一成長理論」――経済成長と不平等を偶発的事件や制度の巧拙に還元せず,人類史を貫く構造的力学――を描き出す本でもある.前半で描かれるのは,ホモ・サピエンス誕生以降ほぼ30万年にわたり,人類がマルサス的停滞に囚われ続けてきた理由である.生産性の向上は人口増加に吸収され,一人当たりの生活水準はほとんど改善しない.
均衡が農業革命後も基本的に維持されていたという指摘は,産業革命を突発的奇跡とみなす通俗史観を否定するものだ.18世紀イギリスの労働者の実質賃金は古代ローマ末期と大差なかったとされ,それが事実なら,文明の外観的発展と生活水準の停滞が長く共存したことになる.本書の独創性は,産業革命を人口・教育・技術が相互に強化し合う臨界点の突破として捉える点にある.人口規模の拡大は知識の蓄積を促し,技術革新は教育への投資を合理化し,教育水準の向上はさらなる技術進歩を生む.この正の循環が成立したとき,人類は初めて停滞から成長へと移行した.とりわけ「子どもの数から質へ」という人口行動の転換は決定的である.
成長は制度改革や倫理観の変化の前提条件であり,同時にそれらの結果でもあったという逆転の視点が,本書前半の理論的達成だろう.後半では,同じ成長がなぜ世界に均等にもたらされなかったのかという第2の謎が扱われる.著者は制度・文化・地理を並列的な独立変数とせず,それらが農業革命や出アフリカという太古の出来事からいかに派生したのかを丹念に追跡する.栽培作物の特性が土地所有の集中度を左右し,それが不平等な制度の形成に長期的影響を与えたという議論は示唆的である.小麦や大麦など,貯蔵可能な穀物は富の蓄積と階層化を促した一方,キャッサバのような作物は比較的平等な社会構造と親和的であったという.
多様性が低すぎれば革新は生まれず,高すぎれば社会的摩擦が増大する.この議論は遺伝決定論を回避しながら,環境と人間集団の相互作用が制度や文化を長期的に形成してきたことを示しており,現代の移民問題や多文化社会を考える上で示唆に富む.もっとも,本書の壮大さは同時に限界も孕む.数十万年を貫く理論であるがゆえに,植民地主義や戦争,冷戦構造といった近現代の政治的暴力はやや抽象化の層に沈む.しかしそれは欠陥というより,本書が個別史の記述ではなく思考のための座標軸を提示する試みであることの,必然的帰結であろう.
++++++++++++++++++++++++++++++
Title: THE JOURNEY OF HUMANITY - THE ORIGINS OF WEALTH AND INEQUALITY
Author: Oded Galor
ISBN: 4140819111
© 2022 NHK出版
