■「線上のフェア・プレイ」アンドレア・セドラーチュコヴァー

線上のフェア・プレイ

 世界が「東」と「西」に分断されていた1980年代前半.共産主義政権下のチェコスロバキアで母親のイレナと二人暮らしを送るアンナは,将来を期待された陸上選手だ.ライバルのマルティナと共に,彼女は国が支援するエリートスポーツセンターでコーチのボフダンから厳しい指導を受ける日々を送っていた.高地合宿のさなか,ロサンゼルスオリンピック出場のため,有能なアスリート向けの新薬のプログラムに参加させられるアンナ.だがそれは,筋肉の成長を助ける,ドーピング薬だった….

 会主義体制下ではスポーツは国家権力の装置として機能し,個人の身体と倫理を侵食していく.東欧諸国では1960年代以降,国家直轄のスポーツ医学研究所が設置され,アナボリックステロイドは回復促進剤やビタミン補助として選手に提供されていた.東ドイツの国家計画14.25と同様に,チェコスロヴァキアにも類似の制度が存在し,医師・コーチ・官僚が一体となってプログラムを推進した.

 1976年モントリオール五輪以降,東ドイツは女子競泳で圧倒的優位を確立したが,背景には国家主導の組織的ドーピングがあり,選手の多くは後年,深刻な健康被害を訴えることになる.才能あるスプリンターとして選抜されたアンナが組み込まれるプログラムは,ドーピングを科学的進歩や合理的トレーニングの一環として含んでいた.アンナが倒れ,投与されていた薬物の正体を知る場面は,知識の非対称性の暴力を示す.彼女は自らの意思で競技に参加していたはずだが,実際には選択の前提となる情報を与えられていなかった.体制は常に最善を保証すると語るが,判断基準とリスクは決して個人と共有されない.

 東ドイツでは「青い錠剤」と呼ばれるステロイドが若年選手に日常的に投与され,その正体を知らされていた選手はほとんどいなかった.ステロイドを拒否するアンナの決断は倫理的覚醒ながら,競技で明確に脱落し,努力や才能だけでは埋められない差を突きつけられる.フェアプレーとは,競争条件そのものによって規定される相対的な概念という事実,不公正である世界での競争という矛盾である.無機質なトレーニング施設,くすんだ色調の集合住宅,抑制された感情表現は,1980年代後半のチェコスロヴァキアの空気を再現している.

 劇中で使用される東欧製のトレーニングウェアや陸上スパイクは,当時アディダスやナイキといった西側ブランドが入手困難だった現実を思い出させるだろう.個人の誠実さは,体制・家族・未来への幻想によって容易に踏みにじられる.フェアプレーとは制度の問題であるならば,制度が不正義であるとき,最も深く傷つくのは未来を託された若い身体である.1989年のビロード革命後,チェコスロヴァキアでもドーピングプログラムの実態が明らかになったが,多くの元選手は健康被害と共に,自らが「国家の道具」であったという事実に苦しみ続けている.

線上のフェア・プレイ

線上のフェア・プレイ

  • ユディット・バールドシュ
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原題: FAIR PLAY

監督: アンドレア・セドラーチュコヴァー

100分/チェコ=スロバキア=ドイツ/2014年

© 2014 Negativ, Česká televize, RWE, Arina, Departures Film, RTVS, Barrandov Studios, I/O Post