▼『警察の誕生』菊池良生

警察の誕生 (集英社新書)

 警察の歴史をひもとくとき,今日のようなシステムが整うに到るまでには,その道筋は一筋縄ではいかなかった.そこには長い歴史が存在する.ヨーロッパにおける警察組織の発達過程は,王権や教会,都市といった様々な権力機構と不可分の関係にある.ヨーロッパ王朝史研究を専門とする著者が,各時代の独特な捜査法を紹介しつつ,ヨーロッパで近代警察が誕生するまでの背景,更には警察史を通じて見えてくる「新しいヨーロッパ史」を描き出す――.

 ッフェル塔やバスティーユ広場と並び,パリ警視庁の所在する「オルフェーヴル河岸36番地」は,フランス人にとって特別な空間であるという.セーヌ河に浮かぶシテ島の中心に位置する建物は,犯罪者の隠語で「刺されれば酷い目に遭う場所」と囁かれ,裁きの記憶を体現する場所として都市に刻み込まれてきた.地下と地上4階からなる荘厳な建築は,パリで起きたあらゆる犯罪の歴史を目撃してきた.

 サーベルを提げた警官の姿が日常風景となった空間は,治安と権力がいかに日常に深く根ざしているかを示している.現在の建物は19世紀後半の整備だが,警察権力の中枢機能は中世に遡る.ルイ14世(Louis XIV)と財務総監ジャン・バティスト・コルベール(Jean-Baptiste Colbert)による警察条例の発布は,近代フランス治安政策の転換点であった.絶対王政下で警察は,犯罪対処のみならず都市管理・風紀統制・言論監視をも担う.重要なのは,この権力が恣意的ではなく,シビリアン・コントロールの名の下で制度化された点である.

警察とは本質上,今現在の体制を維持するために存在する.そしてこの今現在の体制を維持するために警察権力を発動させたときの権力者の全能感ほど甘美なものはないのである.警察は絶えず本来の目的の範囲を超えて警察規制を打ち出してくる.かつて国家存在の究極的目的を公共の福祉の促進と定め,そのための強権的国家活動こそが警察の任務であるとした警察国家論がいつまた息を吹き返すかわからない.国家権力は国家権力である限り,絶えず警察国家の復活を狙うものである

 フランス国家は治安を,理性によって設計可能な秩序と見なしたのである.これに対しイギリスの警察思想は対照的だった.自由と規制の境界線をあいまいにすることで,露骨な権力の可視化を回避する戦略が採られた.その極致がジェレミ・ベンサム(Jeremy Bentham)の考案した一望監視システムを備えた監獄「パノプティコン」.常時監視される可能性が内面的規律を生成するというこの発想は,露骨な権力行使を嫌うイギリス的統治観を的確に表現している.江戸時代への言及は,ここで論の重さを損なう.

 約250人の奉行・与力・同心が人口50万を超える江戸の統治を担っていたことは興味深いが,江戸の治安が身分秩序と共同体規範に依存していた点において,近代国家における警察権力の問題系とは根本的に異なる.無理な比較は,かえって各制度の特異性を曇らせるだけである.最終章に「近代警察の誕生」を配置する現在の編成は,情報的には完結しているものの,論理的な緊張感に欠ける.むしろこの章を序章として置き,警察がいかにして近代国家の中核へ組み込まれたかを先に提示したうえで,英仏の差異を論じるべきであった.そうすることで,読者の知的関心は格段に喚起されたはずである.

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原題: 警察の誕生

著者: 菊池良生

ISBN: 9784087205718

© 2010 集英社