| 突然目が見えなくなる感染症が流行した4年後,同じ国の首都の総選挙で大量の白票が投じられる.政府は非常事態宣言を発し,首都を封鎖する.ノーベル賞作家による現代社会への警鐘の書――. |
盲目の寓話『白の闇』の直接的続編でありながら,主題を知覚の崩壊から政治的明晰へと大胆に転位させた物語.前作が〈見えないこと〉を通じて文明の脆弱性を暴いたとすれば,本作は〈見えすぎること〉が国家と民主主義に及ぼす脅威を描き出す.ある国の選挙日,雨が降り続くなか,市民の多くが白票を投じる.白票の氾濫は暴動でも革命でもなく,暴力すら伴わない.にもかかわらず政府はそれを国家への脅威と見なし,首都を封鎖,非常事態を宣言する.
制度としての民主主義は,自由な意思表示を前提としながら,その結果が制度自身を揺るがす場合,ただちにそれを敵視するという矛盾.本作の背景には,ジョゼ・サラマーゴ(José Saramago)が経験したポルトガルおよびEU政治への深い不信がある.共産党員であり続けたサラマーゴは,リベラル・デモクラシーを形式だけが残った空洞と批判しており,その視点は本作において極度に寓話化されている.
2004年の刊行時,本作はポルトガル国内で「反民主主義的」「無責任な政治扇動」と非難され,前作以上の論争を呼んだ.だが反発こそが,作品の主張を証明している.サラマーゴの特異性は際立つ.句読点を極端に抑制し,会話文を地の文に溶け込ませる文体は,読者に安定した視点を与えない.その読みにくさは,作品世界における制度的不安と同型であり,明晰であるはずの理性がどこで国家暴力に絡め取られるかを読書体験させる仕掛けである.
『白の闇』の登場人物,かつて「唯一見えていた女」が再び権力の監視対象となる展開は,明晰さが罪として扱われる世界の完成を示すものだろうか.サラマーゴにとって,見ること,考えること,判断することは常に政治的行為であり,それが集団的に行われた瞬間,権力は必ずそれを抑圧しようとする.白票とは,説明不能な沈黙であり,国家が最も恐れる理由なき理性の表出であろう.この物語は,見えることよりも危険なのは「見えているのに従わないこと」だと告げている.
++++++++++++++++++++++++++++++
Title: ENSAIO SOBRE A LUCIDEZ SEEING
Author: José Saramago
ISBN: 430920886X
© 2023 河出書房新社
