| 1971年,ニューヨーク.アメリカを代表する写真家の一人と称えられたユージン・スミスは,今では酒に溺れ荒んだ生活を送っていた.そんな時,アイリーンと名乗る女性から,熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる.水銀に冒され歩くことも話すことも出来ない子供たち,激化する抗議運動,それを力で押さえつける工場側.そんな光景に驚きながらも冷静にシャッターを切り続けるユージンだったが…. |
写真家ユージン・スミス(William Eugene Smith)と妻アイリーン・美緒子が1972年「LIFE誌」に発表した《入浴する智子と母》は,世界に衝撃を与えた一枚である.母の慈愛に満ちた腕に抱かれる智子の姿は,ルネサンスの宗教画《ピエタ》を彷彿とさせる神秘性を湛えながら,水俣病という現代の悲劇を雄弁に語る.作品が持つ力の源泉は,スミスが現地で築いた家族との深い信頼関係にあった.時を経て,この写真は複雑な運命を辿ることになる.
智子の母親は「ユージンが撮るなら」と承諾したという.写真家と被写体の信頼こそが,報道写真の意義を決定づけたのである.しかし後年,遺族は永続的に記録され続ける苦痛を理由に,写真の公開停止を求めた.この要請を受け,アイリーンは「アイリーン・アーカイブ」を設立し,著作権管理に着手する.一枚の写真が背負う重み,それを守る責任の重さを物語る決断であったが,写真の封印は2021年,水俣病公式確認から65年の節目において解除された.
記録写真はいつ,どのような文脈で再び世に問われるかという時間的次元に左右される存在でもある.ここにアーカイブ論的な示唆がある.記録は保存・管理されるだけでなく,公開のタイミングにも固有の機運が宿るということだろうか.スミス自身,この作品の重みを身をもって体現することになる.1972年,チッソ関係者とみられる人物による暴行で視力を損なうほどの重傷を負った.しかし皮肉にも,暴力的体験は真実に殉じる写真家というスミスの神話化を促進することとなった.本作を検討すると,告発の芸術と被写体の尊厳という二重の緊張が常にある.
スミスが英雄的存在として描かれることで,被害者自身の主体性が部分的に覆い隠されるリスクは否定できない.一方で,スミスを媒介として水俣の問題を国際的観客に結びつける担保という面も確かに存在する.この構造は植民地主義的視点を内包しながらも,国際的連帯を可能にする一体性を示すものだ.当時私生活のスキャンダルに揺れ,キャリアの転機に立たされていたジョニー・デップ(Johnny Depp)が「壊れながらも真実を追求する写真家」を体現したのは,自己投影の挑戦的行為であった.メタ・テクスチュアルな重層性は,映画を伝記的記録から,現代的自己言及性を備えた作品へと昇華させている.坂本龍一の不穏なスコアは印象深く,素晴らしい.
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原題: MINAMATA
監督: アンドリュー・レヴィタス
115分/アメリカ/2020年
© 2020 MINAMATA FILM, LLC
