| 死とは,長い過程であって特定の瞬間ではない――人生の最終段階と,それにともなう不安・怒り・恐怖・希望……二百人にのぼる患者に寄り添い,直接聞きとった"死に至る"人間の心の動きを研究した,画期的な書――. |
精神科医エリザベス・キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler-Ross)が"死"を研究対象としたのは,1965年,シカゴ大学付属ビリングス病院でワークショップを始めたときである.その経験を元に提唱された「死の受容の5段階」は,もはや文化的アイコンとすら言える概念となった.本書は1969年に刊行されるや否や,死や悲哀を語ることを忌避していた当時のアメリカ社会に大きな衝撃を与え,末期医療の必読書として広まった.当時,医療現場で患者本人に死の宣告を行うことはタブー視されていた.余命を告げられないまま孤独に死を迎えるケースが多い中で,キューブラー・ロスは200人以上の臨死患者へのインタビューを通じて,患者自身の声を記録したのである.
この本はたんに,患者を一人の人間として見直し,彼らを会話へと誘い,病院における患者管理の長所と欠点を彼等から学ぶという,刺激に満ちた新奇な経験の記録に過ぎない
その成果が,否認,怒り,取引,抑うつ,受容という5段階であった.心理学的には防衛機制の延長に位置づけられるが,死は終わりではなく過程であり,その軌跡に寄り添うことこそが医療者に求められる姿勢という洞察は,当時の臨床にとって革新的であった.当初はあくまでセミナー用の実践記録にすぎなかったが,講義を耳にしたマクミラン社の編集者が出版を強く勧め,急遽まとめられた.2年半にわたる調査と30の事例報告を基盤にしているとはいえ,出版のきっかけはむしろ偶然性に近い.それがやがて世界的ベストセラーとなり,医学教育やホスピス運動を根本から変革することになったのは,歴史の皮肉といえるだろうか.
もっとも,「5段階説」は普遍的真理ではなく,後年には直線的ではなく循環的,また文化や宗教により異なるといった批判も寄せられている.キューブラー・ロス自身も段階は必ずしも順序立って進むわけではないと補足している.だが,限られた命の時間を生きる人間の心に共通性を見いだした点で,科学的仮説を超えた死生観の物語として価値がある.なお,キューブラー・ロスは,晩年に死後の世界に関心を移した.臨死体験や霊的現象の研究に没頭し,科学者としての評価を失った一方,スピリチュアルな共同体からは敬愛の対象となった.
人間の穏やかな死は,流れ星を思わせる.広大な空に輝く百万もの光の中のひとつが,一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消えていく.臨死患者のセラピストになることを経験すると,人類という大きな海の中でも一人ひとりが唯一無二の存在であることがわかる.そしてその存在は有限であること,つまり寿命には限りがあることを改めて認識させられるのだ
1995年に脳梗塞で倒れてからは左半身麻痺となり,2004年に世を去る.最期の記録によれば,彼女は「怒り」の段階を強く経験したとされ,信仰していた神を罵倒する姿も見られた.皮肉にも,自身が提唱したプロセスを,その身をもって実証するかのようであった.死は人間にとって普遍的でありながら,最も語りにくいテーマである.キューブラー・ロスの功績は,死を人間の営みの必然的帰結として正視させたことにある.本書の結びは,臨床報告でありながら詩的な響きをもつ.孤独のうちに死を迎える患者への深い思いやりが,研究の原動力となったからと思われる.
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Title: ON DEATH AND DYING
Author: Elisabeth Kubler-Ross
ISBN: 4122068282
© 2020 中央公論新社
