▼『文章読本』丸谷才一

文章読本 (中公文庫 ま 17-9)

 当代の最適任者が,多彩な名文を実例に引きながら,豊かな蓄積と深い洞察によって文章の本質を明らかにし,作文のコツを具体的に説く.最も正統的で最も実際的な文章読本――.

 の先は濛々たる闇である.谷崎潤一郎に始まり,川端康成(ただし代作者による執筆とされる),三島由紀夫,丸谷才一,吉行淳之介へと連なる「文章読本」の系譜は,日本文学における一種の「原論」.諸科学における基礎原理を探る営みと同様,言語表現の根底に迫ろうとする.「論語読みの論語知らず」とはよくいわれるが,多くの文学や芸術に触れるほどに,文章そのものをいかに理解し,磨くかという自覚を迫られる.

 谷崎は,言語を思想伝達の形態ととらえ,概念の枠内にとどめることで読者の理解を可能にすると説いた.三島は,文章において格調と気品を第一義に置き,それは古典的教養から培われると主張した.丸谷は,名文に親しみ,模倣することこそが,文筆の熟達に直結すると述べた.丸谷の強調する「伝統性」「趣味性」の意識は,悪文が氾濫する現代日本語への鋭い警鐘である.

 戦後の流行語や商業広告が文学的文体を侵食していった過程を思えば,言語文化の水準を守ろうとする積極的な知識人の態度であったと読めるだろうか.歴史的に見れば,言語の選択が文明そのものを形成した例は少なくない.ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)『神曲』がラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれたことが,結果的に現代イタリア語の基盤を築いたことはよく知られている.

 こうした事例は,文体が文明の姿を規定するという重大な事実を裏付ける.三島は『文章読本』執筆にあたり,谷崎を「形式の美学」,川端を「叙情の美学」と位置づけ,自らは「格調の美学」を継承するつもりでいたとされる.丸谷はこの系譜を受けつつも,より実用的かつ教育的な観点から,文章の鍛錬と感受の統合を試みた.言い換えれば,三島が理念を,丸谷が方法を担ったのである.

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原題: 文章読本

著者: 丸谷才一

ISBN: 9784122024663

© 1995 中央公論社