▼『東方見聞録』マルコ・ポーロ

 日本を「チパング」の名でヨーロッパにはじめて紹介したのはマルコ・ポーロであった.極東についてほとんど何も知らなかった中世のヨーロッパ人にアジアの知識を与え,アジアへの眼をひらかしめた――.

 央アジアから中国南部,さらにはインドシナやセイロンに至る広大な地域を踏破したと伝えられるマルコ・ポーロ(Marco Polo)は,17年間にわたり元朝に仕えたという.26年ぶりにヴェネツィアへ帰還した報告「世界の記述」は,13世紀ヨーロッパ人にとって未知の世界の扉を開いた.だが,チパング(日本)に関する報告――黄金の宮殿,尽きることのない金鉱,人肉嗜食の習俗――は,現実とはかけ離れた幻想的イメージに彩られていた.伝聞と想像の混交であるが,野蛮と黄金という図式は,後世の大航海時代においてスペインやポルトガルの探検家たちの欲望を刺激する装置となった.

 クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)が所有していた『東方見聞録』には366箇所の書き込みが確認されており,インドを目指しつつチパングを探す航海構想に参照点を与えていたことは明らかである.元朝の政治制度,中央アジアの都市経済,諸宗教の分布,風俗や慣習に関する断片的ながら貴重な記録として,後世の地理学者や旅行家を刺激し,19世紀の探検家スヴェン・ヘディン(Sven Anders Hedin)はその地理的記述の正確さに驚嘆した.ポーロは帰国後,ジェノヴァとの海戦で捕虜となり,獄中でルスティケロ・ダ・ピサ(Rustichello da Pisa)に体験を口述した.

 ルスティケッロは当時流行していた騎士道物語の文体を借りて記録を整えたため,本書にはしばしば冒険譚的誇張が混じることになった.結果として,個人の旅行記であると同時に,中世文学の文体的制約を受け,ヨーロッパにおける〈驚異の書〉の系譜に連なる存在感を持つことになった.中世では,未知の東方はしばしば怪物や財宝の源泉として語られてきた.ポーロの報告は,伝説的国土に実在の地名や王朝を重ね合わせる形で読まれ,想像と現実を接合する役割を果たした.本書は,伝統的な幻想の枠組みを保持しつつ,具体的な地理的・民族的情報を流し込むことで,中世ヨーロッパの想像力を更新したのである.

 現存する写本は138種に及ぶが,すでに散逸したものも少なくない.本文にはフランス語・ラテン語・イタリア語の諸系統があり,学術的にはユール=コルディエ本が最も信頼性の高い校訂本とされる.日本語訳もこれを基盤としつつ,ポーティエー系統やマースデン本系統,さらにはリッチ本系統を参照して編纂されている.「異郷の黄金と奇習」は,地理的現実よりもむしろヨーロッパ自身の欲望を映し出す.虚構を含むにもかかわらず――いや虚構を含むがゆえにこそ――本書は世界像の形成において事実以上の驚きをヨーロッパに持ち込んだ.

東方見聞録

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Title: DESCRIPTION OF THE WORLD

Author: Marco Polo

ISBN: 9784390602280

© 1983 社会思想社