▼『鬼の研究』馬場あき子

鬼の研究 (ちくま文庫 は 9-1)

 かつて都大路を百鬼夜行し,一つ目,天狗,こぶ取りの鬼族が世間狭しと跳梁し,また鬼とならざるを得なかった女たちがいた.鬼は滅んだのだろうか.いまも,この複雑怪奇な社会機構と人間関係の中から,鬼哭の声が聞こえはしないか.日本の歴史の暗部に生滅した〈オニ〉の情念とエネルギーを,芸能,文学,歴史を捗猟しつつ,独自の視点からとらえなおし,あらためてその哲学を問う名篇――.

 本文化における「鬼」という存在を,社会的・歴史的なコンテクストの中で再定位しようとする試みである.鬼は,英雄譚を際立たせる反面教師として描かれ,人里を荒らし,美女を攫い,財宝を奪い隠す存在として語られてきた.しかし本書の視座は,彼らを反体制の象徴として捉え直すことで,鬼が歴史的にまつろわぬ者――すなわち国家の枠組みに従わなかった者たち――の表象であったことを指摘する.

 『和名類聚抄』が記す「隠(おん)」という語源説は興味深い.「姿を隠す者」という属性が,後に「オニ」へと転じたとされるもので,鬼が必ずしも最初から超自然的怪物ではなく,社会の周縁に追いやられた人間集団の暗喩であったことの示唆である.大和朝廷に抗した山の民や蝦夷,さらには渡来人までもが「鬼」「天狗」と呼ばれたことは,異質な存在の異形化ともいえるだろうか.坂上田村麻呂の「鬼退治」譚が,軍功の誇示以上に蝦夷征伐の正当化として流布されたという指摘も,鬼を歴史的文脈で読むことの妥当性を補強する.

 能に登場する鬼女たちの哀しみや嫉妬は,社会から排除された者の怨嗟と未練の表象であった.そこには鬼と呼ばれざるを得なかった人間の影が見え隠れする.西洋のヴァンパイアや魔女像が,しばしば社会的不都合のスケープゴートとして語られたことに通じるように,鬼は恐怖と悪逆の姿であると同時に,異端者が背負わされた悲哀と孤独の投影でもあった.鬼は,常に時代ごとの人間社会の歪みを投影して再生産されてきた存在だったのである.

空気の清澄な月明の夜,時ならぬ鬼哭の声を聞くことは稀ではなく,日頃みせぬことを本領とする鬼が,ふいに闇から手をのべて琵琶の名器を演奏するなど,まことに哀れである.その時,鬼の心に去来した瞬時の回想は何であったろう

 平安期の貴族たちは節分の「鬼やらい」において,実際には鬼の姿をした役を仕立てながら,内心では「鬼=病や災厄を祓う存在」として期待を寄せていたという.この二重性は,恐れるべき存在と必要とされる存在という矛盾を,鬼が常に担ってきたことを示している.さらに中世に入ると,鬼は山伏や修験者の荒行と結びつき,極限的な境界の象徴へと変貌する.鬼に憧れる感情が「天狗信仰」と交錯する点は,人間の自己超克への欲望が鬼を媒介に表現されたことでもあった.人の世の裂け目を映す「鏡」として文化に刻まれ続けている鬼は滅びるどころか,人間社会が異端者を生み出し続ける限り,その姿を変えて生き延びるのであろう.

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原題: 鬼の研究

著者: 馬場あき子

ISBN: 4480022759

© 1988 筑摩書房