| スティーヴンソンがサモア島で創作に悩み,現実逃避への憧れと芸術への情熱の間で葛藤する.植民地主義の矛盾を見つめ続ける島の自然と原住民との交流を通じて描かれる,文明人の孤独と芸術家の宿命――. |
南洋の孤島を舞台に,欧州的教養を身につけた知識人が自然と文明の狭間で自己を解体されていく過程を描いた中篇.『宝島』『ジキル博士とハイド氏』で知られるロバート・ルイス・スティーヴンソン(Robert Louis Stevenson)が,晩年をサモアで過ごしたことは史実である.スティーヴンソンは,現地の人々からトゥシタラ(物語を語る人)と呼ばれていた.称号は,異郷における言語と文化の移植を表す記号であるから,中島敦は,この呼称を採用して言葉の力,物語の効力とその終焉を主題化したのである.文明の言語は自然の沈黙に勝てず,知識人の自我は熱帯の風に溶解する.
光は文明と希望を象徴しながら死の兆候でもあり,風は自由でありながら形を留めず,夢は理想でありながら儚く消える.本作の構造は,文明と自然,主体と環境の葛藤を描いているが,中島の筆致は東洋的無常観に裏打ちされている点で独特である.文明の傲慢に対する自然の勝利というモチーフは,当時の日本人にとって不可解であっただろう.1942年という発表年を思えば,戦時日本の帝国的想像力と密接に関わっている.南方進出を進めていた日本にとって「南洋」という語は,資源と領土を渇望する国家の夢を示すイメージを帯びていた.本作の魅力は,自然の美を賛美する叙情性,西洋理性の崩壊を冷徹に観察する知性が,緊張を保ちながら併存している点にある.
英領サモアという舞台は,戦時下の対立意識を助長する選択であった.表向きは異国の作家の死を描きながら,帝国の夢とそれが孕む崩壊の兆しが映し込まれている.中島は結核を患い,太平洋戦争下で南方に赴任し,本作の執筆から半年後,1942年12月に死去した.この小説は欧州的教養人の生の終焉を凝視する.風や光の描写は風景描写を超え,時間と死,そして存在の本質を照らす哲学的装置として機能している.「光」は文明の象徴でありながら,生命を焼き尽くす宿命を孕み,「風」は自由でありながら,形を残さない無常の原理を体現する.東洋的無常観と西洋的個人主義の衝突が見いだされるのである.
スティーヴンソンがサモアで築いた家は「ヴァイリマ」と呼ばれ,現地の首長から厚遇され,島民の葬列によって丘に葬られたという事実をどう見るべきだろうか.文明人が自然と和解したかに見える美談であると同時に,異文化との融和が結局は死によってしか完結しえないという皮肉でもあったかもしれない.中島敦は史実に詩的想像力を注ぎ込み,文学史上稀にみる死と自然の叙事詩を完成させた.死生観の文学として読む視点をとるならば,異文化小説でありながら,死を直視した作家が,自身の存在の解体をスティーヴンソンという仮面を通じて語った「自己解体の文学」なのである.
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原題: 光と風と夢
著者: 中島敦
ISBN: 4061962043
© 1992 講談社
