■「隠された記憶」ミヒャエル・ハネケ

隠された記憶 [DVD]

 テレビ局の人気キャスター・ジョルジュは,編集者の妻アンと一人息子ピエロの三人で平穏に暮らしていた.そんなある日,一本のビデオテープと不気味な絵が何者かによって送りつけられる.テープには,ジョルジュの家の前の風景が延々と撮影されていた.それから次々と届くテープには,徐々にプライベートな風景が映し出されるようになり,一家は身の危険を感じ始める.そんな中,ジョルジュは子供時代の“ある出来事”を思い出していく….

 良に見える中産階級の人間の表面を剥ぎ取り,その内奥に潜む疚しさや差別意識,忘却という暴力を冷徹に炙り出す.サスペンスの皮をかぶった政治映画であり,告白劇のように見せかけたメタ的断罪である.ミヒャエル・ハネケ (Michael Haneke)が観客に突きつけるのは,倫理的な選択ではなく,選択そのものを放棄してきた者の顔――フランスそのものである.ジョルジュは,パリ13区のモダンな邸宅に暮らし,TVの文学番組でステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé)の難解な象徴詩について論じるインテリである.ジョルジュの生活は整い過ぎていて,画面からはすでに冷気が立ち昇る.マラルメを引用するのは意味深で,詩人自身が空白や省略によって詩の余白に世界を編み込もうとしたからだ.

 ジョルジュの人生もまた,空白によってできている.言葉を尽くして真実を語るのではなく,語らないことで罪を隠す者の顔が,そこにある.謎のビデオテープ――この物語の「動機」は,すでに説明のつかない存在として提示される.「誰が撮っているのか」「犯人は誰か」といった推理的枠組みはことごとく裏切られる.むしろ重要なのは,なぜジョルジュはこのような不安に晒されるのかという問いである.答えは,過去にある.より正確に言えば,忘れようとした過去に.1961年10月17日,パリで発生したアルジェリア人虐殺事件.アルジェリア独立戦争に絡むフランス国家の抑圧の最たるものであり,数百人のデモ参加者が治安部隊により虐殺された.公式発表の死者数は2人に留まり,国家は長くこの事件の記憶を否認し続けた.慰霊碑が建てられたのは,事件から40年後の2001年.にもかかわらず,いまだフランス政府は明確な謝罪を避けている.

 ジョルジュの「隠された記憶」とは,この事件の遠い残響であり,少年時代に家に引き取られたアルジェリア人の少年マジットを排除したことで形成された.父母の愛を奪われる恐怖から,マジットを嘘で陥れ,施設送りにした.そして忘れた――あるいは,忘れたつもりでいた.しかし記憶は,記録されなかったとしても,無効にはならない.むしろ,忘却こそが罪の核心を形作る.ジョルジュの不安,幻視,猜疑,虚言――すべては,本人が封印した過去が再び立ち上がることへの恐怖である.しかもその恐怖は,実体を持たない.映画の冷徹さは,「見ているのは誰か」「撮っているのは誰か」という問いを浮かび上がらせる視線の構図にある.登場人物を包囲するように据えられた監視のカメラは,時に登場人物の目でもなく,犯人の目でもなく,ただ無機質な観察者のように機能する.この抽象的な視点こそ,神の視線であり,ハネケの視線である.

 最も戦慄すべきカットの一つは,ラストの校門前のロングショットである.注意深く見れば,マジットの息子とジョルジュの息子が何かを語り合っている.音声はない.この曖昧な沈黙にこそ,ハネケの皮肉が込められている.この作品は,フランス国内でも議論を巻き起こした.ハネケ自身は「私は答えを与えない.問いを与えるだけだ」と語ったが,それは作品全体に貫かれる美学でもある.結局,ジョルジュの罪とは,加害ではなく「忘却」である.彼はマジットを傷つけたことを記憶していない.それが最も残酷なのだ.覚えていないからこそ,償うことも許されない.ハネケは,そのような忘却の文化を築いてきた西欧社会にカメラを向ける.物語の中で唯一,全体像を把握し,人物を配置し,視線を支配しているのは――そう,ハネケ本人である.神の視点から,登場人物の欺瞞と観客の甘えを同時に暴き,冷たく笑っている.

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原題: CACHE

監督: ミヒャエル・ハネケ

119分/フランス=オーストリア=ドイツ=イタリア/2005年

© 2005 Bavaria Film,BIM Distribuzione