▼『短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・ソーンダーズ

短くて恐ろしいフィルの時代

 小さな小さな"内ホーナー国"とそれを取り囲む"外ホーナー国".国境を巡り次第にエスカレートする迫害がいつしか国家の転覆につながって‥‥?!「天才賞」として名高いマッカーサー賞受賞の鬼才ソーンダーズが放つ,前代未聞の"ジェノサイドにまつわるおとぎ話"――.

 ィストピアのエッセンスを極限まで凝縮したような,寓話的な怪作である.全編を通して彩られた朱の装丁は,まるで読者の視野を強制的に血と警告色で染め上げ,内容に先んじて不穏を刷り込んでくる.この物語がただのナンセンス・ファンタジーではないことは,読み始めてすぐに明らかになる.舞台は「内ホーナー国」「外ホーナー国」のあいだに設けられた,わずか国民一人分の滞在スペースしかない"一時滞在ゾーン".物理的に内ホーナー国は国土の外に「はみ出してしまう」ことがあり,その瞬間,彼らは「外ホーナー人の庇護を受けるべき異分子」となる.

国が小さい,というのはよくある話だが,<内ホーナー国>の小ささときたら,国民が一度に一人しか入れなくて,残りの六人は<内ホーナー国>を取り囲んでいる<外ホーナー国>の領土内に小さくなって立ち,自分の国に住む順番を待っていなければならないほどだった.外ホーナー人たちは,<一時滞在ゾーン>にこそこそ身を寄せあって立っている内ホーナー人たちを見るたびに何となく胸糞がわるくなったが,同時に,ああ外ホーナー人でよかったとしみじみ幸せをかみしめた.見ろよ,内ホーナー人の卑屈でみじめったらしくて厚かましことといったら

 ばかばかしいまでに不条理な設定が,実は排外主義の本質をきわめて冷酷に浮き彫りにしていく.野心家フィルは,自分の脳をボルトで固定したスライドラックから頻繁に落とす――という笑えない設定を持ち,それでも人々を扇動し,恐怖と憎悪を植えつけ,独裁者の座へとのし上がる.フィルの身体は,ツナ缶やベルトのバックルなど,ジャンクの寄せ集めである.登場人物の多くも,身体を構成する部品の説明がなければ「人間」と呼ぶのもためらわれる.著者は,ブッシュ政権下で高まった愛国主義と,その裏にある排除と暴力の論理に警鐘を鳴らすべく,この作品を2005年に発表した.

 9.11以後のアメリカでは「敵を外に想定することで内部を統一する」言説が横行したが,本作における外ホーナー国はまさにその縮図である.ユーモラスにデフォルメされたキャラクター造形は,政治的な諷刺を安全に包む仮面であると同時に,寓話形式の有効性を裏付けてもいる.ジオラマ的な世界構築や脳の取り外しなどのメカニズム的描写には,工学的発想が色濃く表れている.極端なまでに単純化された善と悪の力学は,道徳劇のような力強さすら持っている.読み終えた時,最初は奇妙に思えた真っ赤な装丁の意味が,しんしんと胸に沈む.

われら外ホーナー人に美点があるとすれば,それは寛容なことである.われら外ホーナー人に欠点があるとすれば,それは寛容すぎることである!このケチな連中が小さなみじめったらしい土地しか与えられなかったといって,それがわれわれの落ち度であろうか? 否! 全能なる神が彼らにこんな小さなみじめったらしい土地しかお与えにならなかったのは,神に何かお考えがあってのことなのだ

 赤はフィルの怒りではなく,フィルに煽られた群衆が流す血の色,フィルのような指導者を簡単に戴いてしまう人間社会の脆弱さを象徴する色である.独裁には天才的頭脳も不要で,誰より大声で怒鳴る者が「思考停止の大衆」に支持される――その寓意は,我々の現実に背筋の寒さをもたらす.本作は,ジョージ・オーウェル(George Orwell)『動物農場』や,クルト・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)の短編にも通じる,政治風刺と不条理ユーモアの結晶である.それ以上に,どれだけ物理的にグロテスクでも,権力と差別は成立してしまう人間のサガを突きつけ,何より滑稽であることによって,より深く内面へと浸透してくる.

短くて恐ろしいフィルの時代

短くて恐ろしいフィルの時代

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Title: THE BRIEF AND FRIGHTENING REIGN OF PHIL

Author: George Saunders

ISBN: 9784047916449

© 2011 角川書店