▼『我らが少女A』高村薫

我らが少女A

 12年前,クリスマスの早朝.東京郊外の野川公園で写生中の元中学美術教師が殺害された.犯人はいまだ逮捕されず,当時の捜査責任者合田の胸に,後悔と未練がくすぶり続ける.「俺は一体どこで,何を見落としたのか」‥‥そこへ,思いも寄らない新証言が――.

 厚な警察小説で知られる〈合田雄一郎シリーズ〉の一作ではあるが,ここにあるのは推理や捜査の快楽ではない.むしろ,著者自身がこれまで築き上げてきた"合田神話"を解体し,読む者を不可逆な虚無の海に沈めようとする意思が見える.本書の構想は10年以上も前に着想されていたが,少女の死の意味を構造として掴みきれなかったとして,たびたび執筆を中断している.その背景には,〈21世紀の日本で小説はいかにして"公共性"を取り戻せるか〉という,文学的問いがあった.著者は2000年代以降,小説とは物語を語るのではなく,社会の深部に手を突っ込む手段であるべきだという信念を強めており,それが本書にも色濃く表れている.

 物語の中心には,すでに命を絶たれた「少女A」がいる.彼女はもはや生身の少女ではない.中学時代に男子生徒を蹴飛ばす活発さを持ち,ゲームセンターで「太鼓の達人」に熱中し,不良と交わり,性的早熟の兆候を示した彼女は,いわば現代日本が産み落とした少女像の結晶である.彼女に名を与えず,記号として扱い,同時にそれを執拗に描くことで,読者に強烈な自己投影の鏡像として提示する.小金井,多磨霊園,連雀通りといった実在の地名は,記憶が堆積し,風化し,時に生臭さを蘇らせる地層として,物語と呼応する.その意味で本書は,東京近郊の地誌的文学でもある.

 合田雄一郎は,いまや捜査一課の現場から退き,警察大学校で司法法制を教える立場にある.だが,かつての凶悪事件の記憶,12年前の老女殺害事件の未解決に対する自責の念は,彼の背中に重くのしかかる.その事件で,当時15歳だった少女Aは捜査線上に浮かびながら,決して咎めを受けることなく時の流れに紛れた――長い沈黙が,物語の空白の核心を成している.出版直前,編集部内での議論ではこれを"ミステリー"として出してよいのかという懸念があったという.明確な犯人もなく,捜査らしい捜査も描かれず,読者の推理的期待を容赦なく裏切る構造は,ジャンルの枠を超える.

悪を見ならわないで,善を見ならいなさい.善を行なう者は神から出た者であり,悪を行なう者は神を見たことのない者です

 結局「社会派小説」あるいは「現代文学」として打ち出す方針がとられたが,その中間的ジャンル感こそが小説の強度を物語っている.盟友の加納祐介も心臓病で入院中という設定は,現実の時間を投影している.実際,合田シリーズの初期に比べて,登場人物たちは老いと衰えを前提として描かれるようになった.救済も赦しも提示されないまま,ただ「老いと記憶」だけが地層のように積もっていく.「ヨハネの手紙 第三」の引用に象徴されるように,真理とは普遍的に与えられるものではなく,選別され,拒絶され,時に誤読されるものである.作中の人物たちは誰一人として「神を見たことのある者」ではない.見たことのない神を語ること,あるいは「語ろうとすること」自体の不可能性が,この作品の本質をなしている.

我らが少女A

我らが少女A

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原題: 我らが少女A

著者: 高村薫

ISBN: 9784620108421

© 2019 毎日新聞出版