▼『ヨブ記 箴言』旧約聖書翻訳委員会 訳

旧約聖書 12

 不条理な悲劇を生き,神と対決するヨブ.イスラエルの知恵の集大成・箴言.神と人間と世界の意味を問う二つの文書は,苦難の時代に際しての,伝統的な思想・文学への問いかけを宿している.背後にひそむ民族の現実的・思想的危機の様相は,遠くその射程を現代にまで及ぼす.新鮮かつ挑戦的な新訳――.

 代オリエントにおいては,格言や教訓詩,寓話,論争などの形式で神的宇宙的秩序への信仰を主題とする「知恵文学」が形成された.旧約では「箴言」「ヨブ記」「伝道の書」「ベン・シラの知恵」(外典)「ソロモンの知恵」(外典)などであり,バビロン捕囚後の前4世紀から前1世紀の末頃にかけて記録されている.「箴言」「ヨブ記」の語り口と到達点は大きく異なる.それがゆえに,この二書は対立しながらも補完し合う神学的対位法を形成している.『ヨブ記』は,神に忠実であった者がなぜ理由もなく苦しまねばならないのかという,宗教思想における永遠の命題を正面から扱っている.ヨブは,サタンと神との天上の対話により,あえて試される義人である.ヨブ自身には罪がないにもかかわらず,家族・財産・健康をすべて失うという極限の試練を課される.

 試練の原因がヨブの行為にあるのではなく,あくまでも神の"意図"――すなわち神学的実験として描かれる物語の背後には,バビロン捕囚という民族的破局が伏在している.前6世紀,王国を失い,神殿を破壊され,土地から追われたユダヤ人たちは,「なぜ私たちがこのような運命を受けねばならぬのか」という問いに直面した.その問いへの文学的・宗教的応答が『ヨブ記』であるという見方は根強い.ヨブの語りには詩的構想と神学的深淵とが結合しており,当時の知識層による洗練された神義論的構築がうかがえる.ヨブに慰めを与えるはずの友人たちは,逆に因果応報の倫理に基づき,ヨブ自身に罪があると主張する.この伝統的応報原理への批判こそが,ヨブの信仰と苦悩の本質である.

 最終的にヨブは,苦しみの意味を理解するのではなく,「苦しみを超えて神を畏れる」という次元へと到達する.問いの答えを求めることを放棄するのではなく,問いを超越する"信仰の覚醒"である.一方,『箴言』は対照的に,神を畏れることを知識の出発点とし,実際的な人生の指針を与える.ここでは世界は秩序正しく,善人には幸福が,悪人には破滅がもたらされるという基本的な価値観が貫かれている.ユダ王国末期からペルシア支配下という社会的動揺の中で,共同体秩序を再構築するための日常的知恵の体系でもあった.『ヨブ記』は文学的にも旧約随一とされる詩篇であるが,その冒頭と結末は散文で記されている.これは物語の骨格としての"枠物語構造"であり,中核に詩的な神義論ディベートが挟まれている.

 構造的には,まるでギリシア悲劇のような重厚さを湛えており,古代オリエントにおける宗教文学の成熟した形態を示す.また『箴言』の中には,実はエジプトの「プタハホテプの教訓」や「アメンエムオペの教訓」など,先行する異民族の知恵文学との共通点が指摘されている.つまりイスラエルの知恵は閉じたものではなく,古代オリエント世界の広範な知のネットワークに支えられていたのである.異教世界にあっても,知恵は神の領域であるという観念が共有されていた点は興味深い.『ヨブ記』と『箴言』――前者は苦難と沈黙において信仰を学び,後者は秩序と節制のなかに知恵を見出す.いずれもが,「なぜ生きるのか」「なぜ善をなすべきか」という問いに対する,宗教的な応答である.この二つの書は,信仰が無傷ではありえないこと,時に神は答えぬという沈黙の神学をも含意する.

旧約聖書 12

旧約聖書 12

  • 岩波書店
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Title: IYOB; BOOK OF JOB, MISHLE; PROVERBS

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ISBN: 4000261622

© 2004 岩波書店