| 高校時代に親友・キズキを自殺で喪ったワタナベは,過去を断ち切るかのように上京し,孤独な大学生活を送っていた.ある日ワタナベは,キズキの恋人だった直子と東京で偶然再会する.二人は大切な人を失くした者同士で静かに寄り添うようになり,ついに直子の二十歳の誕生日に一夜を共にするが,その直後に直子はワタナベの前から消えてしまう.一方ワタナベは大学で瑞々しい魅力を放つ緑と出会い,直子とは対照的な彼女に惹かれていく…. |
村上春樹『ノルウェイの森』は,個の喪失,若さの不確実性,生の不安を繊細に内省する言語の肌理(きめ)や間(ま)にこそ核心が宿っていた.翻訳不可能性にも似たこの文体的感覚を,映像という異なる言語体系でどう表現するか.それが本作の挑戦であり,同時に限界でもあった.トラン・アン・ユン(Trần Anh Hùng)の手腕は,美術や構図において確かな美意識を感じさせる.とりわけ季節の移ろいを強調した画面設計,森の奥に吸い込まれるようなカメラワークは,喪失の感覚と時間の不可逆性を強く印象づける.
音楽にはジョニー・グリーンウッド(Jonathan Richard Guy Greenwood)が参加しており,作品全体に漂う静かな狂気と寂寥感に現代的な音響的深度を与えている.とはいえ,原作が持っていた〈余白〉を映像によって埋めすぎてしまったきらいがある.村上春樹の原文には,読者の内面で自由に膨らむ余地がある.だが映像では,その曖昧さを明示的な演出で補おうとする結果,かえって観客の想像力を制限することになった.キャスティングにおいては,松山ケンイチのワタナベ像には一種の無垢さが漂い,他者との距離感に苦しむ内気な青年像を体現している.
対する直子を演じた菊地凛子は,感情の爆発力で圧倒する場面が多く,病的な繊細さよりも激情が前面に出てしまった感は否めない.緑を演じた水原希子は,存在そのものが軽やかで魅力的だが,原作にあるもっと屈折した複雑さ,たとえば陽気さのなかの影のような部分が希薄である.これは演出の選択というより,役者の限界とも受け取れる.撮影当時,原作者の村上は映画化に対し口出しを最小限にとどめていた.監督が村上に「この作品における最も重要なテーマは何か?」と尋ねた際,村上は「喪失と再生」とだけ答えたという.物語を貫く根底は,恋愛ではなく,傷ついた魂が癒される可能性の探求なのである.
映画は喪失の余韻を美的に処理することには成功しているが,再生の瞬間を真正面から描くことには躊躇があったように見える.それは,おそらく原作がもつ"醒めた情熱"という逆説的性質――感情の昂りを内省的に語る文体――を映像で再現することの困難さに起因している.村上春樹の世界の"語りの魔力"が不可視の要素として重要だったことを再確認させるという点で,この映画は一つの「不完全さ」そのものを魅力としているのかもしれない.ゆえに本作は成功作ではないかもしれないが,失敗作とも言い切れない,"中間の風景"に佇む作品である.
++++++++++++++++++++++++++++++
原題: NORWEGIAN WOOD
監督: トラン・アン・ユン
133分/日本/2010年
© 2010「ノルウェイの森」村上春樹/アスミック・エース,フジテレビジョン
![ノルウェイの森 [Blu-ray] ノルウェイの森 [Blu-ray]](https://m.media-amazon.com/images/I/51XTF2JaG+L._SL500_.jpg)