| 昭和25年7月2日未明,鹿苑寺金閣は焼亡した.放火犯人,同寺徒弟・林養賢,21歳.はたして狂気のなせる業か,絢爛の美に殉じたのか?生来の吃音,母親との確執,父親ゆずりの結核,そして拝金主義に徹する金閣への絶望‥‥六年の後,身も心もぼろぼろになって死んでいった若い僧の生を見つめ,足と心で探り当てた痛切な魂の叫びを克明に刻む長編小説――. |
鹿苑寺金閣舎利殿の炎上は,日本近代文学と宗教建築史の決定的な交錯点であった.1950年7月2日未明,21歳の修行僧による放火は,国宝の焼失という表層的被害以上に,「美」という観念に対する破壊衝動として文化史に衝撃を与えた.漆地に金箔を施した金閣は,足利義満の極楽浄土を現世に写す政治的・宗教的意図の結晶であり,初層から三層にいたる様式の折衷は,日本建築美の縮図でもある.その象徴が灰燼に帰したという事実は,まさに戦後という新しい時代への痛烈な引導であった.この事件を三島由紀夫と水上勉という対照的な作家がそれぞれの方法で掘り下げたことは,日本文学史において稀有な二重焦点を生んでいる.
三島の小説『金閣寺』は,事件から間もない時期に発表され,林養賢をモデルにした「私」が吃音や疎外感ゆえに,美の象徴としての金閣を憎悪し,破壊に至る心理を描く.「美」は絶対的な力を持ち,それゆえに手に入れられない者にとっては呪いとなる.美が破壊されることによって,むしろ完成するという逆説的美学が貫かれており,三島の一貫した様式主義,美の殉教の極致がここにある.一方,20年以上を経て水上勉が描いた本書は,ノンフィクション・ノベルとして事件を実証的にたどりつつも,自身が高野分教場の教員として若き養賢と一度だけ出会っていたという偶然を媒介に,精神の貧困と制度的矛盾がもたらした悲劇として描く.
修行僧が寺の拝金主義や堕落に直面したとき,己の信仰と存在の意義が瓦解するという構図は,戦後社会における宗教的虚無と経済的格差を映し出す.臨済宗相国寺派に属する金閣寺は,事件当時,観光収入だけで500万円以上を得ていた.修行僧という立場で,金閣寺が資本に毒されているような思いに苦しめられたであろう養賢をとらえる水上の視線は,冷めた階級的なものであると同時に,事件の根源を美ではなく矛盾に見出す.本書の視点は,冷めたルポルタージュではない.同郷の若狭の寒村出身者として,養賢の孤独と絶望を理解する共感的まなざしに貫かれている.
水上の描く金閣炎上は文学的昇華ではなく,近代日本社会の倫理的欠落を告発する火柱である.放火後,養賢は逃走して左大文字山で自殺を図ったが,死にきれず草むらにうずくまっていたところを発見された.完成されたテロリズムでも,完全犯罪でもない.未遂の自殺に宿る中途半端さこそ,破壊行為が衝動と絶望のはざまで揺れていた.現在の金閣は1955年に再建されたものである.見た目は以前と変わらぬ輝きを湛えているが,その下には,美と信仰と制度とが交錯した痛ましい火傷の痕が残っている.火の粉を浴びたまま語り続けるように,三島と水上という二つの文学は,なおも金箔の奥にひそむ矛盾を照らし続けている.
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原題: 金閣炎上
著者: 水上勉
ISBN: 4101141193
© 1986 新潮社
