■「トリコロール 青の愛」クシシュトフ・キエシロフスキー

トリコロール 青の愛 [DVD]

 自動車事故によって愛する夫と娘を失ってしまったジュリー.自らも事故で身体と心に大きな傷を負った彼女は,生きる意欲をなくしたまま,すべてを捨ててしまおうと決心する.夫が遺した欧州統合を象徴する未完の協奏曲も,思い出の詰まった屋敷もすべて.だが,夫が生前隠し通していた“公然の秘密”を知ったジュリーは,未完の協奏曲の旋律に導かれるように,新たな生へ,愛へと向かって歩み始める….

 シシュトフ・キエシロフスキー(Krzysztof Kieslowski)による三部作『トリコロール』の第一作.三部作の中でも抽象的で音楽性が高い.物語の核にある自由(liberté)という理念は,政治的解放でも社会的主張でもない私的な断絶――愛する者の死,過去の記憶の破棄――を経て獲得される,むしろ孤立としての自由である.ジュリーは,作曲家の夫と娘を事故で亡くしたことで,全ての関係性から自らを切り離し自由を選んだ.しかしその自由は,解放ではなく,静かなる監禁のようなものだった.この逆説を映像的に強化するのが,青という色彩の徹底的な使用である.

 青を視覚的トーンにとどめず,物語の構造そのものに織り込んでいる.ジュリーが夜に泳ぐ青いプール,水面に揺れる青の光,部屋の中を差す青い光線.これらは彼女の感情の状態を視覚化したものではなく,むしろ感情の断絶そのものを表す.ジュリーの意識に断片的に流れ込む未完の協奏曲《Concerto for Europe》は,夫の遺作とされているが,次第にジュリー自身がその作曲に深く関与していたことが暗示されてゆく.音楽を手がけたズビグニエフ・プレイスネル(Zbigniew Preisner)は,夫の遺作の存在を前提にスコアを書き上げている.

 作曲家の死後に妻がその意図を解釈しながら完成させていく過程を,曲に投影し,意図的にメロディを中断させ,登場人物の心理の流れと一致するような音響構造を構築した.映画の編集には特殊な演出が存在する.青い光が画面を一瞬覆い,音楽が断続的に挿入されるという手法は,感情の揺らぎを時間の中で止める試みである.ジュリエット・ビノシュ(Juliette Binoche)は撮影中ほとんど脚本を読まず,監督の求めにより感情を準備しない状態で演じることを徹底した.インタビューで「演技をしているのではなく,沈黙のなかに身を置くことが求められた」と述べている.

 この方法は,「自己からの逃避」が演技の中に直接現れる結果をもたらした.本作には政治的要素がほぼ皆無であるにもかかわらず,ヨーロッパ統合というキーワードが裏側に存在する.未完の協奏曲《Concerto for Europe》は,欧州共同体の精神的統一を象徴する可能性を秘めた設定であり,冷戦後のヨーロッパにおけるアイデンティティの模索と響き合うが,壮大な構成に見合う完成度とは言い難い.キエシロフスキーはあえて政治性を物語の見えない層に埋め込み,個人の再生と社会の再構築を鏡のように反映させた.

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  • ジュリエット・ビノシュ
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原題: TROIS COULEURS - BLEU

監督: クシシュトフ・キエシロフスキー

99分/フランス=ポーランド=スイス/1993年

© 1993 MK2 Productions / CED Productions / FR3 Films Productions / CAB Productions / Studio Tor