| 生きるか死ぬかの極限状況で,肉体的な「人間の限界」を著者自身も体を張って果敢に調べ抜いた驚異の生理学.人間はどのくらい高く登れるのか,どのくらい深く潜れるのか,暑さと寒さ,速さの限界は?果ては宇宙まで,生命の生存限界まで,徹底的に極限世界を科学したベストセラー――. |
人間の生存の「限界点」とは,あらゆる環境下において肉体が維持可能な生理的ミニマムラインのことに他ならない.本書はその極限を7つの局面から分析している.「どのくらい高く登れるのか」「どのくらい深く潜れるのか」「どのくらいの暑さに耐えられるのか」「どのくらいの寒さに耐えられるのか」「どのくらい速く走れるのか」「宇宙では生きていられるのか」「生命はどこまで耐えられるのか」という章立てで構成され,5章(走力)を除いては,環境適応の観点から人間の生存限界を問う内容となっている.極限状況における人間の「生理的限界」は,しばしば歴史の重大な局面に現れていた.
1812年のナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)によるロシア遠征は,軍事的失策というより,むしろ生理的条件の見誤りによって壊滅した.59万の大陸軍は,ロシア軍の焦土戦術の前に補給線を絶たれ,冬将軍と呼ばれる厳寒の中で壊滅的被害を受けた.実際,人体は氷点下0.5度を下回ると凍傷を起こしやすく,当時のマイナス28度という環境下では,兵士たちは凍死した軍馬を食べて命を繋いだという.凍傷のみならず,水分喪失の限界もまた重要な指標である.通常,体重の3〜4%程度の水分を失っても命に別状はないが,15%を超えると意識障害や臓器不全が発生し,25%を超えると死に至る可能性が高い.
人体の60%は水分で構成されているゆえ,失われる水の量が生命線を左右するのは当然である.また,熱伝導率という観点から見ると,水は空気の約25倍の熱を伝える.したがって,極寒の海に投げ出された場合,人間の体温は急速に奪われ,もがけばもがくほど死が近づくという皮肉な結果となる.一方で,本書では人間だけでなく,エクストリーム・ファイルとも呼ばれる極限環境微生物の生命力にも目を向けている.放射線に耐える細菌デイノコッカス・ラディオデュランスは,宇宙空間にさらされても生き延びる能力を持ち,地球外生命の可能性すら示唆している.極限環境微生物の存在は,生理学が生命一般の存続条件を問う壮大な学問であることを証明している.
著者は理論家ではなく,自ら極限状況に身を置いてデータを取る「実験者」の姿勢は呆れ返るほどである.高地に登り,深海に潜り,暑さと寒さに晒され,宇宙の模擬環境に挑む.その姿勢は,生理学を「身体の哲学」に昇華させるほどの説得力をもつ.極限とは,死の手前に現れる生の輪郭である.その輪郭線をなぞるようにして,著者は科学の光を当てていく.そこに浮かび上がるのは,人間の肉体がいかに脆く,そして時に驚異的にしぶといかという,生の両義性に他ならない.本書は,生理学を超えた一種の「極限人類誌」である.
++++++++++++++++++++++++++++++
Title: LIFE AT THE EXTREMES
Author: Frances M. Ashcroft
ISBN: 9784309463032
© 2008 河出書房新社
